1、お大師様の『大日経解題』にこうあります
「・・・縁謝すればすなわち滅し、縁興ずればすなわち生ず。事に即して而も真なり。終尽あることなし。故に神力加持経といふなり」(因縁(条件)が欠ければ死に、因縁(条件)が整えば生まれる。生死ともにすべて真理の中である。生滅全体が法界の中であるから死んだといっても終わりではない。それが明らかにされているので神力加持経というのである。)2、『十住心論』には
「生死すなわち涅槃なれば更に階級なし」とあります。
(生れたり死んだりしているこの世界の我々の姿はそのまま涅槃の悟りの世界である。したがって凡夫から仏になるための五十二位(『華厳経』等では、菩薩の修行の階位を上から妙覚、等覚、十地、十廻向、十行、十住、十信の52の位に分ける)
という階級はない)。
三、『金剛般若経解題』では
「本来不生なればまた滅壊を離れたり。因を離れ縁を離れて生もなく滅もなし。無生無滅なれば終始あることなし」
四、『秘蔵宝鑰』では
「本不生とは兼ねて不生不滅、不断不常、不一不異、不去不来等を明かす。」とあります。
五、『十喩を詠ず』(性霊集)では
「因縁を尋ね求むれば曾って無性なり。不生不滅にして終始なし」とおっしゃっています。
いずれも、「死も生も本来なかったのだ」ということでしょうか。