福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

菩提和讃

2019-12-25 | 諸経
菩提和讃

若し人三世一切の  仏を知んと欲すれば、法界性を観ずべし。

一切唯心造なりと、あまねく衆生を観ずるに おのおの仏性具しぬれば、

一念不生に至るとき、忽ち仏性現前し、老若男女もろともに、そのまま即ち仏なり。

しかるに一念迷い初め、みずから凡夫となるゆえに、三毒五欲の情起こり 殺生、偸盗、邪淫欲

悪口、両舌、綺語、妄語 瞋り恚ち愚痴我慢、貪り惜しみて嫉み妬み 

憎愛執着誉め謗り 悪業罪を造りては 地獄や傍生餓鬼となり

千生万劫沈淪し 受くる苦言ぞ恐ろしき 

それ人間の身を受けて、この世に生まれ来ることは、爪の上端に置ける土。

三悪道に堕ちる入りて 苦患にしずむ輩らは 大地の土のごとくなり。

まして尊き仏法の、教えに親しく遇うことは、百千劫にもありがたし。

かかる時節を失わず、必ず出離を求むべし。

人々賢き智慧あれば、春は万の種を蒔き、秋の稔りを待つのみか、

衣服家宅に至るまで、遠き計画立てながら、今をも知れぬ後の世の、

永き冥路を打ち忘れ、空しく過ごすぞ愚なり。無常の風に誘われて、忽ちこの世を終るとき、

何を頼みとなすべきや、あまた資産のあるとても、冥途の用にはならぬもの。

家財重宝持つ人も、携え行くべき途ならず、偕老比翼の契いもしばし浮世の夢ならん。

兄弟朋友ありとして、伴い行くことさらになし、出入りの息の絶えぬれば、野辺の送りを営みて、老いも若きも仇野の、空の煙と消え失せん。

朝夕撫でし黒髪も、蓬が根の塵となる。 かかる憂き目のあるゆえに、ひたすら菩提を願うべし。

弘誓の願を身につけて、忍辱精進怠らず、布施や愛語にこころざし、

十善の道歩みつつ、他己をも自己と覚るならば、これぞ菩薩の浄土なり。

観世の慧眼明らかに、弘く衆生に回向して、ともに濁世を渡るべし。

尚ぶらくは人間の、受くる形はそのままに、仏の姿にかわらねば、

本来より具えし霊明の、一仏心に覚むとき、この身すなわち仏にて、仏が仏を念ずれば、一声唱うる称名も、諸仏の浄土に通徹す。


日々仏に近づきて、礼拝供養も懇ろに、香花燈燭とりささげ、粥飯茶果等供えつつ、

身口意三輪浄らかに、称名念仏経陀羅尼、坐禅観法修すれば浄土はもとよりわが身にて、心が即ち仏なり。

つらつらこの身を観ずるに、生生世世の父母や、一切衆生にいたるまで、その恩愛の深きこと、天の極り無きごとし。

されば誓願たてまつり、無明の眠りを覚しつつ、行住坐臥に怠らず、一心勇猛に修業して、無辺の衆生を慈しみ、菩提の道に趣かせ、

本有の仏性発露して、不報の恩を報ぜんと、般若の船に掉さして、涅槃の岸に到るべし。

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