福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

新羅の皇后が長谷寺観音に遠隔祈願して助かった話

2024-05-21 | 法話

 

今昔物語集巻十六「新羅の后、国王の咎を蒙り長谷の観音の助を得たる語 第十九」

今昔、新羅の国に国王の后有けり。其の后き忍びて窃に人に通じにけり。国王、此の事を聞て大に嗔りて、后を捕へて、髪に縄を付け、間木(まぎ・長押に横に渡した木)に釣係て、足を四五尺許引上て置たりけり。

后、辛苦乱悩すと云へども、更に為べき方無くして、自ら心の内に思はく、「我れ、此く堪へ難き咎を蒙ると云へども、我れを助くべき人無し。而るに、伝へて聞けば、此の国より東に遥に去て、日の本と云ふ国有るなり。其の国に長谷と云ふ所有けり。観音の霊験を施し給ふ、おはしますと。菩薩の慈悲は、深き事、大海よりも深く、広き事、世界よりも広し。然れば、たのみを係け奉らむ人、何でか其の助を蒙らざらむ」と祈請して、目を塞ぎて思ひ入てある間に、忽に足の下に金の榻(しぢ・牛車の踏台)出来ぬ。

然れば、后、「此れ、我が念じ奉れるに依て、観音の助け給ふ也」と思て、其の榻を踏へて立てるに、苦しぶ所無し。此の榻を人見る事無し。其の後、日来を経るに、后免されにけり。

后、偏に、此れ長谷の観音の助ぞ、と知て、使を差して、多くの財物を持たしめて、日本に送て、長谷の観音に奉る。其の中に大きなる鈴・鏡・金の簾有り。于今、彼の山に納め置たり。

実に長谷の観音の霊験、不思議也。念じ奉る人、他国まで其の利益を蒙らずと云ふ事無し。人、もはらに歩を運び、首をかたぶけて礼拝し奉るべしとなむ、語り伝へたるとや。」(長谷寺霊験記、宇治拾遺物語にもあり。)

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