福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

福聚講 今日の言葉  

2013-12-24 | 法話
仏教の観想科学の目的はまず現実に対する我々の誤った考えを診断し、次に精神と現象の性質を発見して苦しみを終わらせ真の幸福を見出したいといういのちあるすべての者の願いに答えることです。この幸福は単なる感覚ではなく持続する充実した感情です。この感情は私たちの人生には意味があるという確信、死を前にしても何ら悔いるところはないという確信からもたらされるものです。・・・

(仏教という観想科学も自然科学と同じように仮説、実験、検証という方法論が成り立ちます。)
まず仮説です。仏教の仮説はいくつかの予備的な観察の上に立てられます。深い満足をもたらすもの、逆にその平安をこわすもの、この2つを理解することからはじめます。そこで、悪意、妬み、欲望、羨望のような感情は持続的な満足をすこしももたらさないということがわかります。・・・作業仮説はこうなります。「苦しみは否定的な想念から生まれ、その想念は自我への執着からもたらされる。わたしたちのこの執着の欺瞞的な性質を暴露することですこしずつ苦しみの第一原因から解き放たれる」。

次に実験の段階では自我の特徴を分析して、自我が頭でこしらえた単なるレッテルにすぎないことを理解するところまでいきます。それから自我の概念そのものへの執着を完全になくしたときなにが起こるかを確認します。一部の精神的要因、例えば寛大さ、忍耐心、愛などがもたらす良い結果と、その反対物がもたらす悪い結果とを観察することもこの実験には含まれます。・・それらの命題は一貫した働きをします。例えば憎しみは長期的には決して幸福をもたらしません。・・そのメカニズムは因果性の法則に従っているのです。怒りと妬みはどんな喜びもこわさずにはおかないし、一方、愛と慈悲は喜びをもたらす。たとえかの真理に目を塞ごうとしてもそれがもたらす結果から逃れることは出来ません。これは抽象的方法ではなく深い考察と結びついた実験的調査です。・・観想的実験で自我というものが頭脳の構築物以外何者でもないことが歴然とあきらかになります。この発見は世界の見方と私たちのありかたに深刻な影響をあたえるものです。・・・

(最後にに仏教的検証です)。内省の領域において目標が達せられるとその証拠として驚嘆すべき一貫性、心の平安、非執着、慈悲、強い精神力などがみられることになります。しかもそれぞれ違った人が行っているのに同じような結果になるのです。・・正しく行われる観想的方法は何世紀、何世代にもわたる修行者の間で驚くほど一致した結果をみせています。・・たとえば何人かの言葉ではこう表現されます。「想念はまず泡だつ滝のような動きをし、ついでところどころで渦をまく川のように流れ、さらに静かな大河のように流れ、時々表面に波がたつこともある。そして最後に大海のようになりその深い層が乱されることは決してない。」
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Q,他人のちょっとした言葉で... | トップ | 「われわれはどこから来たの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事