秘密安心往生要集・・40/42
(丗九、地蔵菩薩衆生の地獄の苦を代り受け玉ふ事。)
釈書に曰く「和州金剛山寺(俗に矢田寺といふ)の満米上人は戒行堅固の誉れ都鄙にかくれなかりき。其の時の名臣小野の篁といふ人は峯盛の子にて博学多通和漢の才人なりしが上人と師資の契り浅からず。且つ神異不測の人にて身は朝班に列なりながら冥府に神游せり。或時琰魔大王歎息して篁に語り玉はく「五濁末世の衆生、罪業極めて重ければ我精直に考検酢と云へども謬りなきにしもあらず。是我が夙殃の感ずるところ、猶復受苦を免れず。如何してか可ならんや」と。篁の曰く「大王、菩薩戒を受持し玉へ」と。王の曰く「此の陰府には戒師なし。奈何せん」と。篁の曰く「臣が師あり。戒業純浄なり。閻浮提の日本国にあり。請し玉はば来らん」と。琰王喜んで曰く「卿ち゛早く喚来れ」と。篁即ち矢田寺に往きて琰王の勅を申、法師を伴ひて冥府に至れば琰王歓喜して法師を請じて師子の座に昇しめ菩薩大戒を受玉ふ。縡畢りて琰王の曰く「戒徳至って重し。何を以てか報謝せん」と。法師の曰く「貧道たまたま冥府に来る。望むらくは地獄受苦の相を一見せばや、大王聴し玉へ」と。琰王の曰く「一易きことなり」とて即ち法師を率ゐて一百三十六地獄を見せしめ玉ふに鑊湯鑪炭刀林剣樹灰河寒泳あり。あるいは罪人あり。獄率其の口を開かしめて洋銅熱鐵を口中に沃あり。是は飲酒非時食破斎の報なり。或いは鐵臼に入れて舂き、或いは俎の上に置て切刻む。或ひは串にして火に炙りなどするあり。是は殺生肉食の報ひなり。或いは刀の山に追上せ熱鐵の床の上に臥さしめ、熱き銅柱を抱かしむ。是は邪婬愛欲の報ひなり。或いは鐵の銛を以て舌を抜出し鐵牛をして犂返さしむ。是は悪口妄語の報ひなり。或いは熱鐵の狗来りて罪人を咬、熱鐵の鷹来りて罪人の両眼を啄き食ふ。是は鷹野を好む人の報ひなり。其外受苦の相、正法念経・観佛三昧経の所説に毛頭も違ふことなく、目もあてられぬ悲しく哀れなる事共なり。次に阿鼻大地獄の中を見るに、一人の比丘あり。熾なる焔の中にありて升り降る。上人、琰王に問ひ玉く「此の僧は
如何なる罪にて此の無間地獄に堕して大苦を受くるや」と。琰王の曰く「上人自ら彼の僧に問玉へ」と。時に上人畏しながら近き寄て問ふ「汝は何れの僧ぞ」と。比丘答えて曰く「我は是地蔵菩薩なり。汝此の世界に来て戒を授く。地獄の有情、苦を離るること多し。我も亦随喜す。我親り釈尊の付嘱を受て猛火を恐れず大悲衆生の苦に代わりて済度を専らにす。然りといへども無縁の衆生は度することあたはず。汝人間に帰らば普く諸人に告げて我に縁を結ばしめよ。亦普く地獄受苦の相を語れ。仏法の中の善根、一毛一渧一沙一塵の如きもあらば我是を便りとし必ず度して成仏せしむべし」と告げ玉へば上人あまりの有難さに悶絶僻地して暫く有りて王宮に帰り感涙雨の如くにして琰王に辞して帰らんとし玉ふ時、琰王の曰く「地獄の苦しみの相、上人の見玉へるは千万億分の一にてもなし。人間に帰り玉はば普く諸人に語りて悪業を止しめ玉へとて一の筐を嚫し玉ふ。上人帰りて此の筐を開き見玉へば白米なり。取り用ゆれども一生の間竭ることなし。是に依りて始めは満慶上人と申せしを後には満米上人と呼けり。本来地蔵の行人なれば篁と共に心を合わせ地獄の中に拝み奉りし地蔵の尊像を造りて金剛山寺に安置し供養して広く四衆に告げて結縁せしめ玉ふ。今の矢田寺の地蔵菩薩是なり。一説には満米上人、此の尊像を造り玉ふ時に春日明神仏師と現れ来りて造り玉ふといへり。(以上は京都誓願寺の国宝『矢田地蔵縁起絵巻』の内容)。
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