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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秘密安心往生要集・・41/42

2021-07-11 | 諸経

秘密安心往生要集・・41/42
四十、地蔵尊を作り追善するに依りて亡者兜率天に生ずる事。
又三井寺の上座實叡と申す人は人王六十八代後一条院の馭宇の人なり。(長元六年癸酉より享保三年戊戌に至る迄六百八十五年なり)深く地蔵菩薩を信じて霊験記三巻を記録せらる。次に良観阿闍梨続編十一巻あり。現に世に行はる。(「地蔵菩薩霊験記」は三井寺の僧実睿撰と称する2巻本と,さらに,實睿撰と称する巻三,良観(16~17世紀の人であるが伝不明)撰と称する巻四~十四を加えた14巻本とが存在する。)其の實叡の記に曰く「昔淡路國に圓照房と云へる僧あり。其の母平生不信邪見にして慳貪放逸なり。圓照大いに愁へて常に教訓せらるれども暫くは用ゆるに似て實の信心は露ばかりもなかりしが終に無常の殺鬼に催促せられて命過ごしぬ。圓照平生至孝なるを以て倩ら母の行迹を憶ふに善因なければ三途の受苦堪えがたからん事を深く悲しみ門戸を閉めて一心に亡母の滅罪生善頓証菩提の回向追善、懈ることなし。熟ら案ずるに諸仏菩薩の本誓悲願は何れも勝劣なしといへども一念弥陀仏即滅無量罪は鵞王の金言、今世後世引導は大士の金諾なければ寤ても寝ても彌陀を念じ地蔵の本願を仰ぎ奉る。母の為に孝を厚くする輩らはは菩薩と同一体なりとかや。若し又人有りて重罪業の人の為に三尺の杖頭に地蔵の尊像を刻み草履一雙を添て其の亡者の墓の側に置かば其の人設ひ刀山に登るとも刀に破られず。冥路を通ふに街に迷はじといへり。圓照ありがたく思ひ即ち三尺の杖頭に地蔵の尊像を刻み奉り草履一雙を加へて墳の傍に置きて白しけるは、此の追善に依りて設ひ宿善なくして刀の山に登るとも此の草履を蓮台として剣樹の峯を飛踰玉へ。猶悪業に牽れて黒闇に沈むとも此の杖をつきて無明の長夜を出離し玉へ。伏して願くは圓照孝思石にあらず。聖衆争では憐れみ玉はざらん。金口の説相明たり。亡霊何ぞ得脱せざらんやと涙を流して念誦して墓所を去りぬ。其の後、十日ばかりを経て日比彼の母と親しくしつる女房の、事の縁に付て都に栖みけれが思はざるに夫に附きて越中の国へ下りて栖みけるにより古郷の音信も絶果たるが圓照の方に来りて語りけるは、或る雨夜の夢に彼の国の立山の傍を往りしに御房の母、足には鐵の木履を著き、手には三尺の杖をつき見玉ふを吾床しくも亦不審にも思ひて是は何なる様にてましますぞと問ひければ、母君答玉はく、されば我存生の時一善も作すことなく慳貪邪見なりし報ひにて刀の山へ追登せられて身を段々に載断る。其の苦しみ言語に述べがたし。然るに我子の圓照房が追善回向の力にて此の杖をつきぬれば刀の山も平地の如し。鐵の木履を著きぬれば剣樹も犯すところなし。杖頭の地蔵尊光明を放ち玉へば獄卒羅刹も近き悩ますこと得ずといへども、唯し悩害を免るるのみにて得脱証果は猶遥かなり。願くは圓照法華三昧の定力を以てして且つ加るに地蔵菩薩の形像を造立し供養せば永く三界の苦輪を免れて不退転に至らん、と正しく傳語し玉ふ、と涙を流して語りければ圓照房聞きて思はく「我が母の死せる事、杖頭地蔵の事は、此の女房は少しも知らざるべきに此の夢の告ありけるこそかへすがへすも不思議なれ」とて急ぎ如法の法華三昧を行じ、地蔵菩薩の尊像を造りて開眼供養し倍々至誠に追福回向しぬる。其の結願の夜夢みらく、亡母相好端厳の天人となり、光りを放ちて顔色怡悦して圓照に告げて曰く「汝が追善回向の功徳に依りて罪障を消滅し今地蔵菩薩の御供して兜率の内院に往生すぞ」と告げらると思へば覚めにけり。此れ寔に地蔵願王の方便にて先ず三途の劇苦を免れしめ更に夢に託して再び追善を修せしめ終に内院の勝會に引入し玉ふこと豈にありがたき事にあらずや。世人皆、子を養育するが故に無量の罪を造りて悪趣に堕す。其の子として追善回向を疎慢にする者は実に無慚の至りにあらずや。圓照房至孝の感応、誰人か羨み學び修せざらにゃ。

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