福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は鎌倉時代に弘智法印が入定された日

2024-10-02 | 法話

今日は鎌倉時代に弘智法印が入定された日
長岡市寺泊の西生寺生寺ホームページに「弘智法印即身仏御縁起」より、として以下のようにあります。
「弘智法印は、鎌倉時代に、千葉県八日市場市(現在の匝瑳市)大浦の鈴木五郎左ェ門の次男「音松」として生まれ幼少のころに、同じ大浦村にある「蓮花寺」に出家。「真諦」となる(「弘智」となるのは、西生寺「奥の院」で即身仏と成るための修行を始めた頃から)。50代はじめで蓮花寺を去るまで蓮花寺の住職。其の後、武蔵野(四ツ谷)「蓮乗院」を建立し住職。其の後、7年間全国伝道。各地に33ケ寺を建立。現存している弘智さまが創設した寺院は3ケ寺。東京都武蔵野市四ツ谷の「蓮乗院」、青森県北津軽郡一浦村の「阿仏坊」、北海道松前町の「蓮花庵」。千葉県匝瑳市の「蓮華寺」。
高野山で修行し即身仏となることを決意し60代で新潟へ戻り、越後の弥彦山「猿ケ馬場」の峠を越えた時、仏法僧鳥の鳴き声を聞き、入定の場所と定める。弥彦山山中の西生寺境内であったこの場所に、小さな修行小屋を建て、それを「養智院(ようちいん)」と名付け、自らの名も真諦より「弘智」と改名。三千日の木喰行、十穀断ち、一字一石経、一万八百返礼拝行を行う。
1363年(貞治二年)十月二日、座禅を組んだままの御姿で御入定、即身仏となる。(70余歳)現在も西生寺境内弘智堂に安置されている。」
私も新潟にいたことがありますが、その時は全く分かりませんでした。惜しいことをしました。しかし今この即身仏は科学博物館主催で全国を回っているようですから東京に戻ってこられたら拝したいと思っています。

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