福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

涅槃会とお釈迦様その2

2011-02-11 | 法話
涅槃会とお釈迦様その2

3、お釈迦様のご生涯
お釈様のご生涯を八段階に分けて八相成道と言います。
下天・託胎・誕生・出家・降魔・成道・初転法輪・涅槃です。

(なお八大霊跡は生誕の地ルンビニー、成道の地ブッダガヤ、初転法輪の地サルナート、布教の地ラージギル、入滅予告の地ヴァイシャリー・祇園精舎のシュラーバスティー・昇天の地サンカーシャ、涅槃の地クシナガラをいいます。必ずしもすべての地がこの八相成道と重なっているわけではありません。)

下天

託胎・・・「佛本行集経」等によると、お釈迦様は衆生済度のため兜率天より白象にのり降りてきて、摩耶妃の右脇より体内にはいります。

誕生・・・4月8日 ルンビニ(藍毘尼)
摩耶夫人は、霊夢をみて懐妊、出産のため里帰り途中のルンビニ園で仏陀が誕生(BC563頃)されました。
『修行本起経』卷上・菩薩降身品第二には、お釈迦様は誕生のとき、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我為尊 三界皆苦吾当安之」と言われたとあります。これは釈尊ご自身が欲界・色界・無色界の三界の迷界にある衆生を安んずるために誕生されたから、尊いのである、と言う意味です。
長じて耶輸陀羅妃(やしょだら 後に釈尊の比丘尼弟子となる)と結婚し羅睺羅(らごら、後の十大弟子の一、密行第一)がうまれます。

出家 ・・・二十九歳。四門出遊(舎衛城の東門で老人に会い、南門で病人に会い、西門で死者に会い、生ある故に老も病も死もあると無常を覚られます。その後、北門で沙門の清らかな姿を見て、出家の意志を固められます。)後出家。

降魔 ・・・涅槃経には、仏陀伽邪の菩提樹の下で禅定にはいったお釈迦様に対し、魔が美女や悪鬼の軍団の姿で押しよせたが美女軍団には「官能におぼれて遊んでいるのは幼児がオムツで糞まみれになって喜んでいるようなものだ」とおっしゃったとあります

成道 ・・・三十五歳 ブッダガヤ(仏陀伽邪)、十二月八日。お釈迦様は菩提樹の下で悟られました。
この内容が大問題です。これがわかればお釈迦様と同じになれるわけです。このお悟りを追体験すべく古今東西のあらゆる高僧が厳しい修行をされてきたわけです。凡夫に分かるはずがありません。
そうはいっても一応書いておかねばなりません。一般的にはお悟りは中道、縁起、四聖諦、八正道の四つの真理から成り立っているとされます。
中道とは、端的にいうと二者択一の「あれかこれか」の極端な考えでなく「あれもありこれもあり」と穏やかにファジーにかんがえることです。
四諦とは、苦諦・集諦・滅諦・道諦をいいます。このうち前二者は流転の因果を示し、後二者は悟りの因果を示します。
八正道とは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八種の徳です。このなかでは中心は縁起だと思います。涅槃時のお釈迦様の周囲に八本の沙羅双樹があるのはこの八正道をあらわすとされます。
縁起とは、すべての主体客体が時間空間をこえ次元を超え相互に入り込んで無限に関係しているということ。自分は、時間的にも空間的にも、無限のいのちの集積なのだともいうことです。ここから中道も四諦八正道も出てきます。いずれにせよ、我々の「いのちとこころ」の織り成す霊妙な世界は無限の宇宙曼荼羅の中にあるということでしょうか。

初転法輪・・・サルナート(鹿野苑)。ブッダガヤでの成道後、最初の説法をかつての五名の修行仲間に対して行われました。「中道を行ずれば心即寂定、八聖道を修し生老病死の苦を離る、我すでに中道の行を随順して阿辱多羅三貘三菩提を成ぜり」と五比丘に説いたと「過去現在因果経」にあります。

涅槃・・・八十歳の二月十五日、クシナガラ。鍛冶屋のチュンダの供養を受けたが此のときのキノコまたは豚肉が原因で亡くなったとされます。(続
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