私の家は代々お大師様を信仰してきました。何百年か前村が全焼した時も我が家だけはどこからかお遍路さんが沢山でて消火してくれ、延焼を免れたという言い伝えがむらに残っているほどです。父もことあるごとに「お大師様を信仰せよ、信仰のある家と無い家ではどこか違いがあるものだ」と話しておりました。
私は昭和11年7月に生れましたが生れるとすぐに61番香園寺さまにお知らせすると「お大師様の子としてもらいうけたので大切にそだてるよう」といわれたそうです。そのせいか私は33歳までは至って健康に育ちました。
しかし昭和51年私は重い病にかかりました。手術で大量の輸血をしたため高熱で震えがきたうえ意識不明となりました。主治医は主人に「奥さんの命があぶない。おそらくもうだめだ。助からない。」と話しているのが朦朧とした意識のなかで聞こえました。
わたしは白い物がみえるのでお母さんのエプロンと間違えたがそれは主治医の先生だったらしい、「お母さん」と呼ぶが返事が無い。「お母さん、なぜ返事をしてくれないの、私が死ぬから?」と薄れ行く意識のなかで必死に母に訴えかけていました。
そのうち自分の体が頭から二つに割れはじめタタターと脚のところまで割れてしまったのが見えます。主治医の先生は畳に手をつき眼鏡をはずして泣いています。兄もきていて廊下でハンカチを眼にあてて泣いています。母は「61番香園寺のお大師様39歳になる我が子玲子をお助けください。」と両手をにぎり合わせて必死に『南無大師遍照金剛』をおとなえしています。母がつずいて般若心経をとなえはじめたとき、病室の片隅に金色の光が差し始め、地の底からわきあがるような声で「黄金の綿を高く積み重ねたから此の上で休むがよい。」と聞こえました。
スーッと私の体は光る綿の上にのせられ、白い霧が体を包みました。見渡す限りただただまぶしい光があるだけです。体は抜けるように楽になりました。私は夢中で「お大師様ありがとうございました。」と三度とお礼を申し上げると、光が消えました。
わたしは意識を取り戻していました。主治医も看護婦さんも家族もみなびっくりするやら喜ぶやらでおおさわぎでした。
その後どんどん回復し、退院3日前には夢に自宅の地蔵堂の前に大日如来様とお地蔵様が光り輝くおすがたで顕れ「二度と病気はしないぞ。」とお告げ頂いたのです。わたしは夢の中で土下座してお礼申し上げました。
退院後は一家みな健康で幸せに暮らさせていただいております。
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