今日は光厳天皇が般若心経を写経され春日大社に奉納された日です。春日社への奉納写経の奥書には『延元元年三月二十九日、春日社に奉納せんがため、これを書写す。願はくは四所明神の利益によって、速やかに三界衆生の願望を満さん。』との記述があります。
文化庁の文化遺産オンラインに「重要文化財・光厳天皇 般若心経」があります。
解説に「光厳天皇(1313~1364)が、延元元年(1336)伊勢大神宮、石清水八幡宮、春日大社の三社へそれぞれ奉納するために書写した般若心経。南北朝の動乱期に天皇となり、程なく廃されて仏道に入った23歳の光厳院が、世の安定を願って作ったものであろう。重要文化財。」
光厳天皇は後醍醐天皇の皇太子であったが元弘の乱の後、北条高時に擁立されて践祚。しかし建武の新政となり廃位される。のち足利尊氏が後醍醐帝を裏切り復権すると弟・光明天皇を即位させ光厳院となり院政をひく。こういう大混乱に遭い地獄を二度も見られても「院は民の安穏・国の安泰を最優先にお考えになって行動された」「尊氏はこの時、鎌倉幕府や持明院統を裏切って六波羅探題を滅ぼし光厳院達を現在の苦しい状況に追い込んだ張本人である。その尊氏から院宣を出すように迫られて院宣を出した一か月後に院は写経を伊勢神宮、石清水八幡大菩薩、春日社に奉納した。石清水八幡への奉納写経の奥書には『延元元年三月二十五日 八幡大菩薩の奉納せんがため、これを書写す。願はくは一巻書写の功徳を以て、三界流転の衆生を救はむ』とあり、春日社への奉納写経の奥書には『延元元年三月二十九日、春日社に奉納せんがため、これを書写す。願はくは四所明神の利益によって、速やかに三界衆生の願望を満さん。』との記述がある。このように自らの安穏・幸福を願うのではなく人々の願望の成就をまず祈願するのは「天子」の行為である。」((「光厳天皇」深津睦夫・・趣意)。
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