今日は方丈記が書かれた日です。
方丈記の最後に「時に、建暦2年(1212年)、弥生の末日ごろ、桑門の蓮胤(鴨長明)、外山の庵にて、これを書きとどめる」とあります。
この中には疫病の記事もあり当時も京都だけで四万人以上が死んでいます。当時の僧侶は死者の額に阿字を書いて回っています。阿字は我々が帰っていく大日如来の世界です。そして最後は「三界は、ただ心ひとつなり」としています。
「・・前の年(養和の時代。治承の後、寿永の前。1181年の晩夏から翌年初夏にかけての10か月間。天皇は安徳天皇。源平合戦の時代)、かくの如くからうじて暮れぬ。明くる年は立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘うちそひて、まさざまにあとかたなし。世の人みなけいしぬれば、日を経つつきはまりゆくさま、少水の魚のたとへにかなへり。はてには、笠うち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに家ごとに乞ひ歩く。かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。築地のつら、道のほとりに飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき香、世界に満ち満ちて、変はりゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはんや、河原などには、馬・車の行き交ふ道だになし。
・・仁和寺に隆暁法印といふ人、かくしつつ数も知らず死ぬる事を悲しみて、その首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。
・・・すべて四万二千三百余りなんありける。
いはむや、その前後に死ぬるもの多く、また、河原・白河・西の京、もろもろの辺地などを加へていはば、際限もあるべからず。いかにいはんや、七道諸国をや。
・・・
・・・
それ、三界は、ただ心ひとつなり。心、もし、やすからずば、象馬七珍もよしなく、宮殿樓閣ものぞみなし。・・」
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