福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「宝在心」

2019-07-11 | 法話
「宝在心」「宝は心にある」という言葉の意味が以前修法していて少しわかりかけてきた気がしました。
大体この言葉は「心がけ次第で幸福にもなれば不幸にもなる」という程度の意味にとられることが多いと思いますがそんな生易しいものではなかったのです。
心には過去の業は勿論、宇宙の果迄の空間が含まれ、無限の過去未来までの時間も含まれていたのです。含まれないものはありません。
また同時に無限の先祖・子孫どころか無限の神仏も心にいらっしゃるのではないかと感じたのです。(当然現代人の大好きな無限の財産も含まれています。)以前は宇宙の果など分からないとか昔の先祖など知らないと思いましたが、それは表面的に自覚出来てないだけでした。(心神喪失の場合も心の深層は皆同じように生きています)。
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