如意輪観音様の六臂の意味(五部陀羅尼問答偈讃宗秘論)
如意輪観音様は座像で、六本の手をお持ちです。6本の手のうち、右第1手は頬に当てて思惟相を示し、右第2手は胸前で如意宝珠、右第3手は外方に垂らして数珠を持ち、一方、左第1手は掌を広げて地に触れ、左第2手は未開敷蓮華、左第3手は指先で法輪を支えておられます。
此のお姿について御大師様は以下の様に解説されています。
「大悲如意輪は何に因ってか六臂を現ずる。 華を執りたもうはこれ何の心ぞ。珠を執りたもうは何の意かある。何によってか数珠を把りたまふ。輪を持したもうは何の義をか表し、何によりてか寶山を按したまひ、頭を低れて何事をか憂ひたまもうや。請ふ本根の原を説きて、慈悲をもって願わくは宣示したまへ。もし「瑜伽」の説に準ぜば、六を現ずるに深意あり。もし執持するところを論ぜば、略して明かすに六義あり。
第一に妙華を執りたもうは、塵染を離るる義を表し、
第二に妙寶を持ちたまふは、諸の貧匱を済ふことを願ふ。
第三に数珠を把りたまふは、傍生を度せんがための義。
第四に寶輪を持ちたまふは、広く法輪を転ずる義。
第五に寶山を按じたまふは、傾動なき義を表す。
第六に手頭を低れたまふは、衆生を思惟する義。
つねに六道の中に遊んで、いまだ曽て暫くも息止せず。
菩薩の悲願深し、これによって六臂を現じたまふ。
釈迦千葉に坐したまふは、果すでに円満したまふことを表す。
観音もまた作佛したまふ、何ぞ八葉の蓮に居したまふや。
観音八葉の白蓮一肘の間に居したまふは、
四葉は四智を表し、四摂は四行の縁、
八生は八知識、十六の量まさに円ならんとす。
想へ輪輅の上に置くと、しかして密言を誦すべきなり。
菩薩諸行を修して、縁に随って有情を化したまふ。」(五部陀羅尼問答偈讃宗秘論)