円覚寺管長横田南嶺猊下の「怨親平等の心」と題する説法がありました。その中に「日本人には明治維新までは怨親平等の考えがあった。蒙古襲来の敵味方を供養するための円覚寺の建立もその思想であった、と説法されていました。
高野山にも数十万基といわれる墓石群がありますが、
その中には「高麗陣敵味方供養碑」という供養碑があります。16世紀の朝鮮出兵のときの敵味方の犠牲者を供養するため薩摩藩島津義弘・その子忠恒が建立したものです。世界遺産登録調査員は之を見て世界遺産登録を決めたとされています。(この功徳か、島津は関ケ原の戦いで西軍について苦戦するも「島津の退き口」として後世に伝えられる敵中突破を成功させたうえ所領も安堵されています。)
これらはまさに横田老師の説かれるように日本人は本来怨親平等の気持ちを持っていたことの証左でしょう。
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