福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

權田雷斧大僧正はキリストを曼荼羅に入れたこと

2018-02-09 | 法話
先にS師から頂いた「權田雷斧大僧正追悼集ー遷化後60年」(大正大学学学報)を読んでいると哲学者井上哲次郎が追悼文を書いていました。その中に
「・・昨年の暮であったかと思ふ。權田大僧正は耶蘇を曼荼羅の中に入れることにされて而してその趣旨を述べて一首の伽陀をつくられた。それはこういふのである。いはく、
帰命大聖耶蘇尊、毘盧遮那等流身、為償衆生罪悪故、十字架上代受苦』(衆生の罪悪を償うために十字架上に代受苦された、大日如来の等流法身であるキリストに帰依し奉る)。
これを読んでみると耶蘇は一命を犠牲にして世人の罪を償ったのであるといふ、あの贖罪説を信じて作られたものであった。・・」
とありました。
自分も以前愚息の結婚式で僧侶ながら教会の式に親として出たあとのスピーチで苦し紛れに「本日はありがたい神父様の説教をお聞きしてキリストも実は曼荼羅の中におられるのではないかという気がしました・・」とのべたことがあります。実際密教の側からの考えではキリストだろうとイスラム教祖だろうと曼荼羅内に居られても全く不思議はないわけです。そういうことを言っている人が真言僧でおられるはずと思っていましたがやはり明治にすでに碩学權田雷斧大僧正は喝破しておられたわけでずいぶん心強く思いました。
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