公事根源「維摩會 (十月)十日 是は十月十日より十六日に至るまでの七か日の間、興福寺にて維摩経を講ぜらる。十六日は大織冠の御忌日なる故なり。興福寺は大織冠の御願とはいひながら、其の子淡海公こそ誠には作られしか。又は山階寺とも申すなり。大織冠病悩におかされ給ひて今はと見えさせたまひける時に百済の尼、名をば法明といふ人あり。大臣に申さく、我大乗を持す。名を維摩経といふ。その経の中に問疾品といふ所あり。もし是を読誦し給はば御病は直らせ給ひてん、と申すによて則ち此の一品を誦するに、未だ誦し終らざるに大臣の御病直らせ給ひき。大臣稽首合掌して「生生世世大乗に帰依せん」と誓はせ給ふ(興福寺縁起)。然るに維摩絵は和同七年に淡海公興行せられて今に絶ゆる事なし。此の會はから國なでも聞こえはべるとかや。北野天神の御詩にも、名は三國に聞こへ、會は興福を留む。朝の朝為るは蓋しこの會力なり、と。」
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