角田さんより近況報告をいただきました。お許しを得て転載させていただきます。お盆明けに身につまされる一文でした。
「・・・私事ですが、この一か月半、「生き仏」と「死に仏」の激励・葬送に立ち会い、私の佛行の可否を点検されるような体験をしました。「生き仏」は、医者に見放された癌患者。慰問も空しく「死に仏」に。「死に仏」とはは、生前、ラジオ関東を、乗っ取った剛腕の持ち主のこと、84歳で突然認知症となり、50年間私をを叱咤してくれたのに、何も識別できないままに仏になりました。いずれも産経新聞の同期と先輩。現役時代、会社では私の部下の役員でしたが、病んで死んでゆく様を目の当たりに見せてくれました。
そしてまた、わたしの町内に住む、JOCの役員、50歳が、五輪協議の帰国の途で、飛行機の中で、急死しました。人間存在の在り方が解からなくなりました。「死に仏」となった皆が、発症して、2~3か月でなくなりました。「死に仏」になった全員が、「もう少し生きたいよー」と呻いていたことが、いつも私の耳朶に残り、胸を裂かれる思いをしています。葬式は、JOCの人を除いて、皆、こじんまりした家族葬で営まれました。こうした人たちを見て、人間、明日は分からないとの思いを強くし、私は「出家」したつもりで、残された日々を送る積りでいます。「出家」=「悟り」が開けるかどうか分かりませんが、修行するのみです。南無大師遍照金剛。」
「・・・私事ですが、この一か月半、「生き仏」と「死に仏」の激励・葬送に立ち会い、私の佛行の可否を点検されるような体験をしました。「生き仏」は、医者に見放された癌患者。慰問も空しく「死に仏」に。「死に仏」とはは、生前、ラジオ関東を、乗っ取った剛腕の持ち主のこと、84歳で突然認知症となり、50年間私をを叱咤してくれたのに、何も識別できないままに仏になりました。いずれも産経新聞の同期と先輩。現役時代、会社では私の部下の役員でしたが、病んで死んでゆく様を目の当たりに見せてくれました。
そしてまた、わたしの町内に住む、JOCの役員、50歳が、五輪協議の帰国の途で、飛行機の中で、急死しました。人間存在の在り方が解からなくなりました。「死に仏」となった皆が、発症して、2~3か月でなくなりました。「死に仏」になった全員が、「もう少し生きたいよー」と呻いていたことが、いつも私の耳朶に残り、胸を裂かれる思いをしています。葬式は、JOCの人を除いて、皆、こじんまりした家族葬で営まれました。こうした人たちを見て、人間、明日は分からないとの思いを強くし、私は「出家」したつもりで、残された日々を送る積りでいます。「出家」=「悟り」が開けるかどうか分かりませんが、修行するのみです。南無大師遍照金剛。」