「即身成仏」という句には⑴「我々凡夫の身がこのままで仏である」とする意味と、⑵「我々凡夫の身を捨てずしてこのまま仏になれる」という意味の二つが含まれている。
弘法大師の即身成仏義には二経一論八個の証文を引用されていますがこれらは皆、「仏になれる」という方に属します。一方、大師は「六大無碍にして常に瑜伽なり、四種曼荼、各々離れず三密加持すれば速疾に顕わる、重重帝網なるを即身と名づく。(宇宙の六つの根本要素は常に相互に溶け合っている、宇宙の四つの側面は相互に関連しており離れることはない、仏と凡夫も身口意が相互に加持するゆえにすみやかに霊験をあらわす、あらゆるものが相互に溶け合って帝釈天の網のようになっているのを即身となずける)」というこちらのほうは「このまま仏」という意味です。
異本即身義には、理具の即身成仏、加持の即身成仏、顕得の即身成仏の三種を出しています。「このまま仏」とは理具の即身成仏(理論上の即身成仏)でいうことです。加持の即身成仏、顕得の即身成仏では凡夫は修行して仏になれるとするものです。
服部鑁海僧正は「ある友人の僧侶が老人に『あなたは即身成仏を説くがされならお大師様が清涼殿で即身成仏のお姿を示されたように、仏の姿を現じて見てください』といわれた」といっておられましたが、これは理具の即身成仏(理論上の即身成仏)と加持の即身成仏、顕得の即身成仏を混同しているのであって、理具は本来そうあるべきという理論、加持、顕得は修行してそうなるという姿です。
浄厳和上の即身義冠註には「一生成仏は必ず即身成仏なり」「即身成仏は必ず一生成仏にはあらず」(一生の間に成仏するのは即身成仏に入るが、即身成仏といえばすべてが一生に成仏するものばかりとはかぎらない)とあります。即身成仏には速疾頓生(すぐに成仏)と不転肉身(肉身のまま)という二つの意味をふくんでいるおです。一生成仏というのは速疾頓生の意味で、顕教の三劫成仏にたいするものです。一方不転肉身というのは父母所生の身のままで成仏するとするもので顕教でいう「有漏を転じて無漏とする」という言葉に対する概念です。
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