観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・9/27
九、事理一心称名の事
両巻疏に云く、一心に偏念して少しも餘念を雑へざる處を事の一念といふなり。さて理の一念と云は、一心の心性を観じて自他共無因の四句をはなれて三世一心にて皆不可得なる處を理の一心称名と云ふなり。此の理の一心称名といふも別にあらず事の一心称名の念が相続すれば自ずから自他の隔情を離れて終に無差平等の心地に本付く處を理の一心称名とはいふなり。所詮一心称名の心地が肝要なり。両巻の疏に一心称名は皆解脱を得るととけども多年のあひだ観音を念ずるもの霊験を蒙らざることはなにゆへぞと問ふ、これを答るとき有相散乱の心に住して熾盛の心に念ずることなきゆへなり。たとへば鏡裏に向かひて我が身影を見るは谷に向かって口を閉じて響きを待つが如しと云へり。能々思念すべきなり云々。
「若為大水所漂稱其名号即得浅處」次に此の文は水難なり。両巻の疏にも見へたり。