5月の高野山結縁灌頂は胎蔵界なのでいつも胎蔵法を修してから受けることにしています。今年も胎蔵法を一週間ほど修しました。中院流一流伝授の中でも再度胎蔵法も受けましたし、四度加行以来数え切れないほど修してきましたがやはり、行で指導頂いている田原先生もよくおっしゃるように「行はやればやっただけのことはある。」ことがわかりました。凡夫でもそれなりに境地が深まる気がするのです。
今日は7回の胎蔵法の結願の日でした。昨年秋の求聞持のときの袈裟を着して行に励みましたがやはり気分が引き締まります。求聞持行のときのきびしい中にもありがたい気持ちに再度浸れました。
そのなかで本尊観などを修しているとやはり自分の体も心も無始以来無限に続いていてこれからも続くのだ、ということが体で分かる気がしてきました。いままでも心は際限なく深いということは感じてきましたが此れまでの感じとはまた質が違ってきました。
こういうことは言葉で説明する事はできないものです。覚鑁上人もおっしゃっているように「修して知れ」ということなのかもしれません。
今日は7回の胎蔵法の結願の日でした。昨年秋の求聞持のときの袈裟を着して行に励みましたがやはり気分が引き締まります。求聞持行のときのきびしい中にもありがたい気持ちに再度浸れました。
そのなかで本尊観などを修しているとやはり自分の体も心も無始以来無限に続いていてこれからも続くのだ、ということが体で分かる気がしてきました。いままでも心は際限なく深いということは感じてきましたが此れまでの感じとはまた質が違ってきました。
こういうことは言葉で説明する事はできないものです。覚鑁上人もおっしゃっているように「修して知れ」ということなのかもしれません。