善財童子の訪問者と教え(華厳経入法界品)29
廿八番目、南方光明山 観世音菩薩
安住長者は善財に「さらに南に行き光明山の観世音菩薩を訪ねなさい」と教える。教えられた通りに行くと觀世音菩薩は光明山の西に住しておられ善財に「自分は【大悲法門光明の行】を成就しており一切衆生のすべての苦悩を救う誓願をたてている。」とおっしゃる。ここで説く、「險道の恐怖・熱惱の恐怖・愚癡の恐怖・繋縛の恐怖・殺害の恐怖・貧窮の恐怖・不活の恐怖・諍訟の恐怖・大衆の恐怖・死の恐怖・惡道の恐怖・諸趣の恐怖・不同意の恐怖・愛不愛の恐怖・一切惡の恐怖・逼迫身の恐怖・逼迫心の恐怖・愁憂の恐怖」から救うというところはまさに観音経にいう「設入大火 火不能焼・水所漂 即得浅処・解脱羅刹之難・刀杖尋段段壊 而得解脱・不能以悪眼視之 況復加害・丑械枷鎖 即得解脱・多於婬欲便得離欲・若多瞋恚便得離瞋・若多愚癡 便得離癡・便生福徳智慧之男・便生端正有相之女功徳」等の功徳と重なる所が多いのです。
「觀世音菩薩は光明山の西阿に住したまうを見る。處處に皆な流泉浴池あり。林木欝として茂り地草柔軟、金剛寶座に結跏趺坐したまいて無量の菩薩が恭敬圍遶し、爲に大慈悲經を演説し、普く衆生を攝したまえり・・・(観世音菩薩曰く)『善男子よ、我已に【大悲法門光明の行】を成就し、一切衆生を教化成熟して常に一切諸佛の所住において應に化すべき所に随って普く其の前に現じ、或は惠施を以て衆生を攝取し乃至同事を以て衆生を攝取し、妙身の不思議色を顯現して衆生を攝取し、大光網を放ちて衆生諸煩惱熱を除滅し、微妙音を出して之を化度し、威儀説法し、神力自在にして方便覺悟し、變化身を顯し、同類身を現じ、乃至同止して衆生を攝取せり。善男子よ、我れ大悲法門光明を行ずる時、弘誓の願を発せり。名て曰く攝取一切衆生と。一切衆生をして險道の恐怖・熱惱の恐怖・愚癡の恐怖・繋縛の恐怖・殺害の恐怖・貧窮の恐怖・不活の恐怖・諍訟の恐怖・大衆の恐怖・死の恐怖・惡道の恐怖・諸趣の恐怖・不同意の恐怖・愛不愛の恐怖・一切惡の恐怖・逼迫身の恐怖・逼迫心の恐怖・愁憂の恐怖を離れしめんと欲せり。』」
これは菩薩五十二位の下から廿七番目、十廻向の下から七番目ということで華厳五十五所絵巻でも「第七随順等観一切衆生回向」としています。
自分の生家の寺の御本尊は十一面観音様でした。朝夕拝んでいました。お陰で難しい檀家等の惹き起こす様々な危機を乗り越えることが出来、大学まで進学できました。其の後音羽護国寺の如意輪観音様にご縁を頂き奉鐘会で6時に鐘を撞かせていただいたり朝参りの会で毎朝お参りさせていただきました。この御縁のお陰で数十年後になって福聚講として本堂でお参りができるという法縁に恵まれました。まことに不思議でありがたいご縁です。
廿八番目、南方光明山 観世音菩薩
安住長者は善財に「さらに南に行き光明山の観世音菩薩を訪ねなさい」と教える。教えられた通りに行くと觀世音菩薩は光明山の西に住しておられ善財に「自分は【大悲法門光明の行】を成就しており一切衆生のすべての苦悩を救う誓願をたてている。」とおっしゃる。ここで説く、「險道の恐怖・熱惱の恐怖・愚癡の恐怖・繋縛の恐怖・殺害の恐怖・貧窮の恐怖・不活の恐怖・諍訟の恐怖・大衆の恐怖・死の恐怖・惡道の恐怖・諸趣の恐怖・不同意の恐怖・愛不愛の恐怖・一切惡の恐怖・逼迫身の恐怖・逼迫心の恐怖・愁憂の恐怖」から救うというところはまさに観音経にいう「設入大火 火不能焼・水所漂 即得浅処・解脱羅刹之難・刀杖尋段段壊 而得解脱・不能以悪眼視之 況復加害・丑械枷鎖 即得解脱・多於婬欲便得離欲・若多瞋恚便得離瞋・若多愚癡 便得離癡・便生福徳智慧之男・便生端正有相之女功徳」等の功徳と重なる所が多いのです。
「觀世音菩薩は光明山の西阿に住したまうを見る。處處に皆な流泉浴池あり。林木欝として茂り地草柔軟、金剛寶座に結跏趺坐したまいて無量の菩薩が恭敬圍遶し、爲に大慈悲經を演説し、普く衆生を攝したまえり・・・(観世音菩薩曰く)『善男子よ、我已に【大悲法門光明の行】を成就し、一切衆生を教化成熟して常に一切諸佛の所住において應に化すべき所に随って普く其の前に現じ、或は惠施を以て衆生を攝取し乃至同事を以て衆生を攝取し、妙身の不思議色を顯現して衆生を攝取し、大光網を放ちて衆生諸煩惱熱を除滅し、微妙音を出して之を化度し、威儀説法し、神力自在にして方便覺悟し、變化身を顯し、同類身を現じ、乃至同止して衆生を攝取せり。善男子よ、我れ大悲法門光明を行ずる時、弘誓の願を発せり。名て曰く攝取一切衆生と。一切衆生をして險道の恐怖・熱惱の恐怖・愚癡の恐怖・繋縛の恐怖・殺害の恐怖・貧窮の恐怖・不活の恐怖・諍訟の恐怖・大衆の恐怖・死の恐怖・惡道の恐怖・諸趣の恐怖・不同意の恐怖・愛不愛の恐怖・一切惡の恐怖・逼迫身の恐怖・逼迫心の恐怖・愁憂の恐怖を離れしめんと欲せり。』」
これは菩薩五十二位の下から廿七番目、十廻向の下から七番目ということで華厳五十五所絵巻でも「第七随順等観一切衆生回向」としています。
自分の生家の寺の御本尊は十一面観音様でした。朝夕拝んでいました。お陰で難しい檀家等の惹き起こす様々な危機を乗り越えることが出来、大学まで進学できました。其の後音羽護国寺の如意輪観音様にご縁を頂き奉鐘会で6時に鐘を撞かせていただいたり朝参りの会で毎朝お参りさせていただきました。この御縁のお陰で数十年後になって福聚講として本堂でお参りができるという法縁に恵まれました。まことに不思議でありがたいご縁です。