福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「十善法語」その30

2019-09-30 | 十善戒
凡(およそ)戒法に持犯開遮有て。一途にかたよることではないと云ふことじゃ。涅槃経に、「よく一字を解するを律師と名く」とある。(大般涅槃經金剛身品第二に「善學戒律不近破戒。見有所行隨順戒律心生歡喜。如是能知佛法所作善能解說。是名律師。善解一字。善持契經。・・」とあり。

又華嚴經に。十不善業の久遠長時。其苦報相続することを説く中に。於中殺生之罪。能令眾生。墮於地獄。畜生。餓鬼。若生人中。得二種果報。一者短命。二者多病。・・・殺生の罪は衆生を地獄餓鬼畜生におとす。もし人間界に生まれても短命、多病になる。とある。(大方廣佛華嚴經、十地品第二十二之二。)

此殺生の罪は自ら佛性に背く。此人間世界天地生育の理に違ふ。人の人たる道に背く。此に由て自性法界清浄妙心の中に地獄を建立するじゃ。大火を現ずるじゃ。大水を現ずるじゃ。諸の獄率を現ずるじゃ。百千萬劫数を建立して。此中に頭出頭没するじゃ。水穀の名字をも聞ぬ餓鬼界を建立するじゃ。義理を辯ぜず。互に相い瞰害(たんがい)する畜生界を建立するじゃ。此を三惡趣に堕すと云。此が正き殺生業道の報じゃ。

此惡業未だみてぬ間は、三寶の名字をも聞ず、父母師長の名字をも聞ず、一切の義理を辯ぜず、、此身心ただ極大苦と相應して、、少分の意に適ふこともなきといふことじゃ。長時にこの苦を受已て後、若人中に還り生ずるも、其殺生の餘業が身心にそひ来て、或は母胎の中に死し、或は出生して死し、或は少年にて死する。此を経中には短命(たんみょう)と云。


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