十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・21
第七章第三節
文殊菩薩。文殊菩薩は智慧の本尊としてある。大師も「文殊の利剣は諸戯を断つ」(般若心経秘鍵)とおおせられてあって、この菩薩は胎蔵曼荼羅の中台院には右手に梵筵を持し、左手に連上に三鈷杵を立てたるを持するも、普通の像は右手に智慧の利剣を持し左手に真理の経文を持したまうのである。支那は知識の国であるから文殊菩薩が非常に尊崇せられたものであって、その髪の数から一髻文殊・五髻文殊等と分かち、その真言の文字数から一字文殊(おんしゅろきえん)、五字文殊(おんあらはしゃのう)、六字文殊(おんばらだばざらだん),八字文殊(おんあくびらうんきゃしゃらくだん)等と分かつ。(密教辞典によれば、一字文殊(一髻文殊)増益、五字文殊(五髻文殊)敬愛、六字文殊(六髻文殊)調伏、八字文殊(八髻文殊)息災、となる)。俗には稚児文殊、獅子文殊等もある。文殊とは具には文殊師利もしくは曼殊室利というのでこれを訳すれば妙吉祥という。文殊菩薩の絶妙なる智慧は即ち一切吉祥の万徳である。
第七章第三節
文殊菩薩。文殊菩薩は智慧の本尊としてある。大師も「文殊の利剣は諸戯を断つ」(般若心経秘鍵)とおおせられてあって、この菩薩は胎蔵曼荼羅の中台院には右手に梵筵を持し、左手に連上に三鈷杵を立てたるを持するも、普通の像は右手に智慧の利剣を持し左手に真理の経文を持したまうのである。支那は知識の国であるから文殊菩薩が非常に尊崇せられたものであって、その髪の数から一髻文殊・五髻文殊等と分かち、その真言の文字数から一字文殊(おんしゅろきえん)、五字文殊(おんあらはしゃのう)、六字文殊(おんばらだばざらだん),八字文殊(おんあくびらうんきゃしゃらくだん)等と分かつ。(密教辞典によれば、一字文殊(一髻文殊)増益、五字文殊(五髻文殊)敬愛、六字文殊(六髻文殊)調伏、八字文殊(八髻文殊)息災、となる)。俗には稚児文殊、獅子文殊等もある。文殊とは具には文殊師利もしくは曼殊室利というのでこれを訳すれば妙吉祥という。文殊菩薩の絶妙なる智慧は即ち一切吉祥の万徳である。