・門人遺誡・・大師六一歳、承和元年、八三四年、十一月十五日、「吾世を去らんと思うこと、明年三月半ばなり。金剛峰寺草創ありと雖も、未だ功半ばに及ばず。然あるに、われ入定せんと擬す。・・東寺を以て実恵大徳に預く。・・弘福寺をもって真雅僧正に付し、神護寺をもって真済僧正に預けたまふ。・・同二年三月一五日重ねて諸々の弟子達に遺告あり。『天長九年一一月一二日より深く穀味を厭いて専ら坐禅を好む。是、皆令法久住の勝計、並びに末世・後生の弟子徒のためなり。・・吾入滅に擬せんこと来る三月二一日寅の刻なり。・・吾閉眼の後、必ず正に都卒陀天に往生して弥勒菩薩の御前に侍るべし。五拾六億余の後、必ず慈尊の御供に下生して、吾先跡を問うべし。又、且々未だ下らざらん間も、微雲管より見て、信否を察すべし。此の時勤めあるものは祐を得、不信のものは不幸ならん』といへり。」(弘法大師行状絵巻)
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