観音霊験記真鈔28/33
西國二十七番播州書寫寺如意輪像御身長一尺五寸(56.9cm)
釈して云く、如意輪と辨財天とは一躰分身の化益なり。辨財天經に云、佛大衆諸菩薩に告げて言、汝等此の神王に於いて軽慢を作す莫れ。此の神王は西方刹土に於いては無量壽佛と稱し娑婆世界に在りては如意輪観音と稱す。宇賀神三日成就經に云ふ、宇賀神将菩薩大蛇の形にて佛前に出現す。我過去に成仏す。名けて正明如来と號す。佛法擁護の為に貧を轉じ未来の衆生に福を施與せんが為に如是の種々の形相を示現し、種々の術法を施す。
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さて辨財天女は頂上に寶冠あり。冠中に白蛇あり。其蛇の面て老人の如くして眉白し。此れ即ち諸佛出世毎に逢ひたてまつる衆生を利益すること年久しき瑞相なり。復此の神王は身白蛇の如く白玉の如し。八臂あり。第一は寶珠、第二は寶鉾、第三は輪寶、第四は寶弓なり。右の第一は寶劔、第二は寶棒、第三は印鑰、第四は寶箭なり。高野大師此の八臂を釋して云く、八臂を具足するは八大観音の総躰なり。左の第一の寶珠の手は貧を離れ福を與へ玉ふ、第二の寶鉾の手は横死の難を離れて丈夫の相を成す。第三の輪寶の手は醜陋を離れ愛嬌の報を成す。第四の寶弓の手は刀杖の難を離れ安楽の報を成ず。右の第一の寶劔の手は愚痴を離れ辨財の報を成ず。第二の寶棒の手は呪詛の難を離れ無病の報を成ず。第三の寶鑰の手は盗賊の難を離れて聖王の位を成ず。第四の寶箭の手は無間の業を離れて佛果の位を成ぜしむ。是は一切衆生の八識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識)なり。大師の𦾔釋に是を記す。此の八手は如意と馬頭と准胝と聖觀と千手と十一面と不空と白衣観音と次第して利益を付て見るべし已上(金光明最勝王經大辯才天女品第十五之一「猶如師子獸中上 常以八臂自莊嚴 各持弓箭刀矟斧 長杵鐵輪并羂索」)。
又延命地蔵經に云く、如意輪観世音を地蔵菩薩と名くと(延命地蔵經「爾時、帝釈白佛言「世尊よ、 何故名て延命菩薩と曰ふ。其相云何」。佛告天帝「 善男子、真善の菩薩は心明圓なるが故に名て如意輪とし、心無罣礙なるが故に名て観自在とし、心無生滅なるが故に名て延命とし、 心無催破なるが故に名て地蔵とし、 心無邊際なるが故に名て大菩薩とし、心無色相なるが故に名て 摩訶薩となす。 汝等信受して心無所別にして忘失せしむる莫れ」)。委しくは経文を披きて見るべし。西國二十七番播磨國書寫寺如意輪大悲像は性空上人(平安時代中期天台僧。父は従四位下橘善根。俗名は橘善行。京都の生まれ。書写上人とも呼ばれる。慈恵大師(元三大師)良源に師事して出家。霧島山や肥前国脊振山で修行し、播磨国書写山に入山し、国司藤原季孝の帰依を受けて圓教寺(西国三十三所霊場の一つ)を創建、花山法皇・源信(恵心僧都)・慶滋保胤の参詣を受けた。早くから山岳仏教を背景とする聖(ひじり)の系統に属する法華経持経者として知られ、存命中から多くの霊験があったことが伝えられている。1007年(寛弘4年)、播磨国弥勒寺で98歳(80歳)で亡くなった)の開基なり。然るに性空上人庵居の始め傍らに桜桃の樹あり。一日天人下りて樹を禮し偈を作りて云く、稽首生木如意輪能く有情の福壽の願を満て亦往生極楽の願を満つ。一切衆生の心所念なり。今性空上人其の枝を伐り又其の根株を付けて如意輪大悲の像を造る。長さ一尺五寸(56.9cm)安鎮行者(性空上人の弟子の一人)に命じて是を刻ましむ。時に清泉ながれ出る。病者是を吞む時はすなはち病平癒すと云々。
歌に
「はるばると 登れば書寫の山おろし 松の響も御法度なるらん」
私に云く、歌の意は、はるばると観音の霊地と聞き此の山に登りて拝すればさながら松吹く風も法を吟ずるかと覚へて殊勝なる名蘭なるかなと。一入尊き詠歌なり。行基菩薩の釋に、嶺風を聞きて無常を観ぜざるは亦是観念の闕たることや矣。又或人の云く、諸法實相と聞くときは峯の嵐も法の聲矣。新古今に
「雲は皆拂ひはてたる秋風を 松に残りて月を見る哉」(新古今和歌集・418藤原良経)
又或人の歌に
「有るにあらず 嵐の音を聞きそへて 心の外に道悟るなり」已上
西國の歌に引き合わすべし。