「不条理に報いるに祈りを以てす」
以前CNNで「神様がいるなら何故コロナが流行るのか?」という視聴者の問いに対して「私たちは天国にいるのではない。地上にいるのです。」と福音派の牧師が答えていました。ロシアがウクライナを侵略虐殺しても西欧諸国はブダペスト合意を破りどこも身を挺して助けません。當にこの世は無法地帯です。此の世は天国ではないことに納得します。
仏教でいえば我々は極楽でなく「娑婆世界」「穢土」にいるのだということでしょう。「娑婆」とは「忍土」と訳されます。
古来殆どの識者が司馬遷のように「天道是か非か」と問うてきました。それだけ歴史も不条理の海の上に浮かんでいるようなものということです。人は古今東西、幾重にも折り重なった不条理の辛酸を嘗めつくしています。しかしそれでも「祈り」は絶えませんでした。日本歴史をみても古来災害や疫病の都度繰り返し寺社に祈りが捧げられましたがその都度効験を現したわけではありませんでした。しかしその後も連綿と日本人は祈り続けています。これは「不条理と見える現象の奥にある世界」を祈りは一瞬でも垣間見せてくれる、ということでしょう。人生は我々が考えているよりもっと遥かに奥深いということを感じてきたからでしょう。
遠藤周作「女の一生」には以下のような条があります。
「地獄とは愛がまったくなくなってしまった場所だよ。・・・ここに愛がないのなら我々が愛をつくらねば・・(コルベ神父)
(コルベ神父はナチスの処刑に臨み妻子があると泣き喚くアウシュビッツの囚人の身代わりに飢餓房に入り亡くなる。このことが囚人たちに伝わったとき、それまでの恐怖と悲惨と拷問と死しかない世界が一転した。)
・・彼らの前面には燃え上がる空と、夕日を受けた城のような雲が拡がっていた。・・・囚人たちが(ガス室へ入るための)番号が叫ばれるのを聞いている間、うるんだ硝子玉のような夕日がすこしずつ落ちていった。
『ああ・・』と一人の囚人がつぶやいた。『なんて、この世界は・・美しいんだ』・・」
また以下のような数学者の言葉があります。
「祈りとは、このような状況における素晴らしい特権なのです。(オックスフォード大学の数学者・クリスチャンのジョン・レノックス著『コロナウイルスの世界の中、神はどこにいるのか?』)」
・アフガニスタンで人道支援事業に邁進し一昨年凶弾にたおれた中村医師は10歳の御子息を悪性の脳腫瘍で失っています。その時、「みとれ、おまえの弔いは、わしが命をかけてやる。あの世でみとれ」と誓ったそうです。そして「命がけで不条理に一矢報いる」という覚悟で人道支援にあたっていたそうです。
まさに「恨みに報いるに徳を以って為す」ならぬ「不条理に報いるに祈りを以て為す」です。