高野山往生伝「聖誉上人。之を西谷勝誉房と号す。元仁和寺の住僧也。永く彼の寺を離れ久しくこの寺に住す。不動明王を以て本尊と為す。大法を修し薫修積む。入壇灌頂油鉢傾けず。身漸く暮齢に及び、口に世事を言ず。爰に風疾相侵し天命殆危。仁安二年1167二月二十九日、弟子に示して曰く、『千坐千日の行法,已に九百九十九日を満ず。明日は是密厳国土の日也。運明日時今日終らんと欲す。残る所の時、総て是れ十坐也。十坐の内、前供養にて終結し、後は彼の国に於て供養し宜しく結願すべき也』と。即ち禮盤に登り、忽ち行法を始め、正念誦の後、散念誦の間、終期違ず畢して以て入滅す。於戯爐壇燈前香火残り、身は早滅す。紙窓月下、縄牀留り、人永く逝く、見る者恋慕の涙を拭ふ。聞く人随喜の思を凝らす。絆の希夷、遠く華夏に及ぶ者歟。是の人、証道に決定すは疑ひあることなし。」