理永は 後小松天皇第一皇女で「護渓理永女王」と諡号。
皇親系によれば、応永二十六年(1419)十一月廿日大聖寺入寺とされます。
(大聖寺は南北朝時代の北朝初代天皇光厳天皇の妃・無相定円禅尼が亡くなった後、その住まいであった「花の御所」内の「岡松殿」を寺としたのが始まりとされています。現在京都にある十ヵ寺の門跡寺院の一つ。
室町時代文中年間(十四世紀)に、後円融天皇の皇女が門跡になられてから江戸時代末期の光格天皇の皇女まで歴代24世の内親王が住職をつとめ、正親町天皇から「尼寺第一位」の綸旨を賜っている。明治以降は公家の子女が住職をつとめた。)