終戦詔勅と象徴の文字の由来(「玄峰老師・高木蒼吾」)・・老大師は・・我が国国体の危機に際しては要路の大官に偉大な示唆をお与えになったことが一再ではないのであります。・・終戦当時の首相鈴木貫太郎氏も老大師に親しまれた一人であります。終戦直前鈴木氏がお尋ねしたとき、老大師から「相撲でいえば日本は大関である。大関は大関らしく負けなきゃいかん。また忍びがたきを忍べ(注1)」とさとされたのでありました。それ . . . 本文を読む
・高野春秋・久安六年1150八月十四日、前検校琳賢阿闍梨、定印を結びて弥陀を唱へ坐化す。全身舎利と成り畢矣。此の舎利、當時金堂後廂に安置し、参詣人に拝見し了因を結ばしむ。其の後、住坊弥勒院後山に殯斂し庿門を立て遺跡を冊すもの也。已後、後白河院前に於いて全身舎利瞳玉落之事、凡徒に非ず。今現存琳賢は高野春秋に「(久安六年)八月十四日、前検校琳賢阿闍梨、定印を結び弥陀を唱へ坐化し全身舎利 . . . 本文を読む
ウクライナとロシアはダビデとゴリアテである(小が大を攻撃し倒す例)
古来、小(弱者)が大(強者)を倒した例は枚挙に遑がありません。
以下、小が大を倒した例を挙げますがいずれも専守防衛のみで勝った例はありません。小なりと雖も積極的に相手の急所を攻撃して勝っています。
1,ダビデとゴリアテの例
数日前CNNのキャスターがロシアのウクライナ侵略を、「ダビデとゴリア . . . 本文を読む
ウキぺデアに依ると、葛根廟事件は、1945年8月14日、満州国興安総省の葛根廟において日本人避難民約千数百人(9割以上が婦女子)が攻撃され、1,000名以上が虐殺された事件。
ソ連軍は戦車機関銃で攻撃を加えながら、避難民を轢き殺していき、ひき殺された人々がキャタピラに巻き込まれ宙に舞った。ソ連軍戦車は何度も避難民めがけて突入しながら攻撃を繰り返、戦車による襲撃が止むとトラックから降りたソ連兵が生 . . . 本文を読む
今日から旧盆ですが、東京は新盆(7月)でおこなっているため、二度お盆を行うのはどうかという質問もあります。お盆は先祖供養ですから二度行うのは素晴らしいことと考えます。東京の知人の家では、新盆にはふるさとから檀那寺の御住職をお向かえして親戚一同集まり新盆で先祖供養をして、旧盆では故郷へ帰り、檀那寺で旧盆供養をしています。今年はコロナでふるさとから檀那寺の御住職をお向かえするというのはできませんでしょ . . . 本文を読む
今日は旧暦七月十五日で解夏です。
旧暦七月十五日は三か月にわたる夏安居を解く日です。雜阿含經に 「時諸四衆過三月安居已・・」。
梁塵秘抄法文歌に「一夏の間を勤めつつ、昼夜に信心怠らず 拘隣比丘ぞ最初には 諦理を悟りて道成りし」とあります。
今昔物語にも三か所でてきます。
「巻三・舎利弗攀縁暫籠居語 第四」「今昔、天竺に仏((釈迦))の御弟子達、所々の安居畢て、仏の御前に集り給ふ時、舎利弗・ . . . 本文を読む
宥快上人は興国6年/貞和元年(1345年)御生誕、応永23年7月17日(1416年8月10日)高野山善集院で御入滅。南北朝時代から室町時代中期にかけての真言宗の学僧。高野山教学の大成者。遠祖は藤原冬嗣、左少将実光の息。19歳で高野山に上り宝性院信弘について密教を学び、1374年(応安7年・文中3年)師の跡を継いで宝性院の院主。さらに1375永和元年に『宝鏡鈔』を著し立川流を批判。山城国山科安祥寺の . . . 本文を読む
今日は月輪大師俊芿御生誕の日です。月輪大師俊芿は泉涌寺開基・真言宗泉涌寺派宗祖。仁安元年8月10日(1166年9月6日)肥後に生まれ嘉禄3年閏3月8日(1227年4月25日)に62歳で遷化されています。1183年(寿永3年)18歳で得度、翌1184年(元暦元年)大宰府観世音寺で具足戒を受け、戒律の研究の為1199年(正治元年)渡宋。径山の蒙庵元総に禅を、四明山の如庵了宏に律を、北峰宗印に天台教学を . . . 本文を読む
『吾妻鏡』に「貞永元年1232八月十日戊午、武州(北条泰時)造らしめ給ふ御成敗式目、其の篇を終へらる。五十一箇条なり。今日以後、訴論の是非は、固く此の法を守りて、裁許せらるる可きの由定めらると云々。是れ即ち淡海公の律令に比す可きか。彼は海内の亀鏡、是は関東の鴻宝なり」とあります。
泰時は式目そのものも聖徳太子の十七条憲法の3倍の五十一条とするなど神仏への畏敬の念を . . . 本文を読む
嘉吉三年1443八月九日は禅信(注)が禁中で五大虚空蔵法を修した日です。(注)密教辞典に依れば、禅信は応仁元年1467十一月八日寂、68歳。東寺長者・仁和寺真光院主。洞院実信の息。護持僧。禁中で一字金輪法・不動法・五大虚空蔵法・八字文殊法等20度も修して法験で著名。 . . . 本文を読む
今年の六斎念仏です
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「・・諸悪莫作、衆善奉行、久しくして必ず吉慶を獲る、所謂災いを転じて福となす也。故に吉人よきひとは善を語り、善をおこなう。一日ごとに三善あれば三年にして必ず天これに福を降す。凶人わるきひと悪を語り悪を行う、一日ごとに三悪あれば三年にして天必ずこれに禍をくだす。なん勉めて之を行はざる。(太上感応編)・・毎日3つの善を行い3年すれば幸福になる。」(太上感応編は12世紀前半南宋の李昌齢の書と推定される道 . . . 本文を読む