今日8月9日から 8月16日まで音羽清水寺の千日詣りです。 . . . 本文を読む
正常性バイアス昂じてストックホルム症候群の日本。
『孟子』卷之十二吿子章句下に「入りては則ち法家拂士無く、出ては則ち敵國外患無き者ものは國恆に亡ぶ。然後に知る、憂患に生きて安樂に死することを。」(対抗する国や外国からの脅威がないと思いこむときは安逸にながれて、遂には必ず滅亡する。国家も外患を自覚してこそはじめて生き抜くことができ、安楽にふければ必ず死を招く。)という句があります。長年経済第一で安 . . . 本文を読む
元徳二年1330八月七日は覚盛が「大悲菩薩」と諡号された日です。覚盛は鎌倉前期の律僧。高山寺の明恵および西大寺の戒如に師事。叡尊・円晴・有厳らとともに東大寺で自誓受戒し戒律を復興。唐招提寺中興の祖。 . . . 本文を読む
三代実録 / 貞観十三年(871)閏八月七日庚戌条「七日庚戌 雷 大雨。 諸衛は殿前に陣す。河水暴溢し、 京師の道橋は流損する者衆し。人廬舎を壊すもの其数知らず。使者を頒遣し、諸神社に班幣し 止雨を請ふ・・」天皇は清和天皇。貞観十一年(869年)には貞観地震・貞観津波が発生。貞観の入寇も起っています。 . . . 本文を読む
京都では六道珍皇寺で8月7日から10日までの4日間に先祖の霊をお迎えする「六道まいり」があります。また同時に近所の西福寺(本物の「六道の辻」に立ち、「轆轤(ロクロ = 髑髏」町にある)ではこの期間に「六道十界図」と「檀林皇后九想図」をご開帳しているということです。この檀林皇后という人は只者ではありません。嵯峨天皇妃で絶世の美女で生前多くの貴顕を虜にしたと言われていますが仏教に帰依し、死後は世の無常 . . . 本文を読む
東寺王代記「永和元年1375八月五日 光濟轉大僧正」光濟は南北朝時代の真言僧。天皇は、北朝方が後円融天皇。南朝方が長慶天皇。室町幕府は足利義満。明徳三年(1392年)には明徳の和約が結ばれ南北朝が合体。光濟は嘉暦元年生まれ。柳原資明の子。真言宗。叔父の京都醍醐寺座主賢俊の弟子となり,同寺三宝院門跡をつぐ。のち同寺座主,東寺長者をかねる。応安7=文中3年(1374)奈良興福寺衆徒の強訴をうけた朝廷に . . . 本文を読む
今日元和9年(1623)8月4日は黒田長政が55歳で死去した日です。辞世の句「このほどはうき世の旅にまよいきて いまこそかへれあんらくの空」は戦国武将の日常の覚悟がわかる句です。 . . . 本文を読む
『拾遺往生伝』及び『後拾遺往生伝』の作者・三善為康往生の日。三善為康保は延五年(一一三九)八月四日、九十一歳で往生。三善為康は平安後期の貴族・算道家。越中国射水郡の豪族射水氏の出身。治暦3年(1067年)に上洛して、三善為長の下で算道を学び為長の養子。康和2年(1100年)正六位上・少内記に叙任。堀河天皇の時に抜擢されて算博士・諸陵頭を兼ねる。『朝野群載』『懐中歴』・『掌中歴』・『拾遺往生伝』及び . . . 本文を読む
梅原猛「歓喜する円空」「明治維新でつくられた新しい神は仏と共に古き神をも滅ぼした」「円空は護法神を多く作って、日本の神々がすべて護法神となって仏法を護ることを願った(「飛州史」には円空の「我山岳に居て多年仏像を造り、其の地神を供養す」という言葉が残っています)、・・・(しかしその後、)仏法を排斥する神の学、国学というものが起こり、明治維新を迎える思想の原動力の一つとなり、明治新政府をして神仏分離・ . . . 本文を読む
訶羅竭「高僧伝」「訶羅竭は本と樊陽の人。少にして出家す。誦經二百萬言。性虚玄にして戒節を守る。善擧厝美容色。頭陀を多行し獨り山野に宿る。晋の武帝太康九年288、暫く洛陽に至る。時に疫疾甚しく流る。死者相ひ繼ぐ。竭(訶羅竭)ために呪治す。十のうち八九は差(いゆ)。晋の惠帝元康元年291に至り、乃ち西入して婁至山に止まり石室中に坐禪す。此室水を去ること既に遠し。時人、澗を開かんと欲す。竭(訶羅竭)曰、 . . . 本文を読む