福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・21/27

2024-12-01 | 諸経

観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・21/27

五、禅那維那姫の事。

昔天竺のある國に二人の長者あり。一人をば禅那長者と名く。一人は維那長者と名くるなり。各々姫を一人つ゛つ持ちたり。禅那長者の姫、無比の美人なり。維那の娘以外の悪女なり。此の二人の姫を内裏へ召されて帝王の近處に召仕へらる。而るに禅那の娘は美人なれば太子御寵愛なり。されば公卿殿上人も皆尊敬さるるなり。さて維那の息女は悪女なれば人毎に之を咲(わら)へり。美女は悪女の敵なれば彼の維那が息女思様は何とぞして禅那が姫を失はばやと思ひいふやうは、海邊に名所ありことには花の盛りなれば御覧有れといふて、同行してゆきそのうらの海人を頼み寶をあたへていふやうは、かの姫を遠嶋へ連れてゆきてすてよといふなり。さるによって海士人はかの禅那が姫を舩に乗せてゆき捨るなり。角て彼の姫はとおしまにてすてられつひにむなしくはてるなり。されば最後の時身に掛けたる瓔珞を解て上絹に裹み指を食切て血にて上絹に件の事を書き奥書に禅那長者の娘季徒何の日何時に此の嶋にて空しくなると書き付けて松に結び付けて置くなり。其の後維那が娘は内裏に歸り申すやうは禅那姫は花見に同行してゆく處に何なる人か取たるやらん見へざる也と申すなり。太子は大に驚き急ぎ諸国へ人を遣はして尋玉へども其の行方なし。太子は御歎のあまり位を譲り給ひて大臣一人召具して出玉ふなり。又父の禅那も家を出て三人同心して国々を訪玉へどもさらに其の行方なし。そののち嶋々をたずね玉ふとき、かの嶋に渡て見玉へば松の枝に結び付けたる物あり。恠く思召して見玉ふに彼の姫の形見のものなり。太子も父も天を仰ぎ地に歎き玉ふ事限り無し。やや有りて太子形見の瓔珞を取り大臣に預け言玉ふやうは、汝此の瓔珞を能く持ちて未来に於いて此の姫の成仏せば其時還すべきなりと言玉ふなり。やがてそのとき三人とも発心して佛道修行して終に成仏し玉ふなり。仍ってむかしの姫は今の観音なり。昔の大臣は無盡意菩薩也。昔大臣にてありしとき預玉ふ瓔珞なれば約束の如く今観音へかへし玉ふなり。さて昔の太子は今の釈迦、父の禅那は今の多宝佛なり。之に依りて観音此の瓔珞を二に分て釈迦多宝の二佛に献ぜらる事は父と夫との故なり。是則ち佛種は縁に依りて起こる道理なれば佛果の上までもわすれたまはざるゆへなり。此の趣大毘沙門経に見へたり。

次、無盡意観世より下(「無盡意。觀世音菩薩。有如是自在神力。遊於娑婆世界。爾時無盡意菩薩。以偈問曰」)結也。

偈頌の事。普門品の偈は羅什の所譯かと云、古来の論議なり。妙楽の釋に、偈は是闍那崛多(じゃなくった)訳するなりといへり。隋の代の闍那崛多の譯と見へたり。凢そ天台は羅什所譯の外に餘の翻訳の経に向ては釋を作玉ふ事は之無し。されば此の偈に於いて天台の能釈なし。故に羅什譯に非ずといふなり。闍那崛多譯せらる添品法華に此の偈有るなり。(添品妙法蓮華經卷第七・隋天竺三藏闍那崛多共笈多譯 ・妙音菩薩品第二十三「佛子諦聽。觀世音菩薩所行之行。爾時無盡意菩薩。即説偈言世尊妙相具 我今重問彼 佛子何因縁 名爲觀世音具足妙相尊 偈答無盡意  汝聽觀音行 善應諸方所 弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億佛 發大清淨願 我爲汝略説 聞名及見身」)。後人彼の添品法華の偈を付け所譯と此の妙法蓮華の書き続なり。記に云く、後の偈頌をば什云譯さず近代皆梵本に之在りと云ふ。又未だ什公深意を測らざるに續高僧傳の中に云偈是闍那崛多所譯なりと云ふ。今旧本に従て所譯なし矣。此の釈分明也。或人難じて云ふ、添品法華の偈は荘厳憧菩薩の問、無盡意菩薩の答也。さて此の妙法華の偈は無盡意の問、如来の答なり。彼此の相違如何。答て云、妙經は且く長行の説に准ぜんがために後に切續く人が隋宜転用して無盡意の問、佛の答と書くなり。尋ねて云、什公の深意とはいかなる深意ぞや。答て云。翻經の注記に云、予昔天竺国に在りし時、遍く五竺に遊んで大乗を尋討せしに

大師須利耶蘇摩に従ひて理味を餐稟し、師慇懃に梵本を付嘱して言く、佛日西に入りて遺耀将に東北に及ばんとす。汝慎みて伝弘せよ。昔婆藪槃豆論師、優婆提舍を製作す。是れ其の正本なり。其の句偈を取捨る莫れ。其の眞文を取捨る莫れ」)。(法華翻經後記四  釋僧肇記「予昔在天竺國。時遍遊五竺。尋討大乘。從大師須利耶蘇摩。飡禀理味。慇懃付囑梵本言。佛日西入。遺耀將及東北。茲典有縁於東北。汝愼傳弘。昔婆藪槃豆論師。製作優婆提舍。是其正本。莫取捨其句偈。莫取捨其眞文。予怱怱忝飡受之。負笈來到。今所傳。良有所以。詮定宗旨。不同異途。呂恐聖旨。待冥可否。夢感遍吉稱可。深會佛旨。具爲釋義。興主開朦。義學伏膺。捨舊本翫新文。覆勘再授。今講肆次略記由來。冀通方之後賢。不咎其差違。流行之處。必有感應矣」)。普門の偈、長行と卒違せり。聖旨を恐れて冥の加被を待つ。夢に偏吉の稱を感じ深く佛旨に會す。羅什翻訳の梵本は天親菩薩の法華論を作玉ふ本也(世親の『妙法蓮華経優波提舎』(法華論)は鳩摩羅什の(梵語)法華経を本としている)。是を須利耶蘇摩三蔵に授け、須利耶蘇摩三蔵又羅什に授く。師資相傳して正き本也。

法華傳記「予昔在天竺國。時遍遊五竺。尋討大乘。從大師須利耶蘇摩。飡禀理味。慇懃付囑梵本言。佛日西入。遺耀將及東北。茲典有縁於東北。汝愼傳弘。」

普門品の偈は長行と少し背處有る故に(長行(本文)には三十三身、鷹現、  二求爾願、轉施等、偈に見られぬ思想も述べられている)什公是を訳さず憑冥感処に夢に普賢来たりて種々に称揚し玉ふなり。此の偈を訳さざるは佛旨に通じ冥感に叶也。故に是を什公の深意と云也。一義に云、佛の出世は大唐の周の代に當り穆王八疋の駒に乗りて霊山浄土に至る。佛是を視て梵語を知るべからざる故、漢語を以て此の品を説玉ふなり。(歴代三宝紀巻十二「佛十九出家三十成道 当穆王二十四年癸未之歳、穆王聞西有化人出 便即西入至竟不還」。「菊慈童」の説話で日本に於いて人口に膾炙した。

此の偈を訳さざるは佛旨に通じ冥感に叶ふ也。故に是を什公の深意と云也。一義に云、佛の出世は當に大唐の周の代にあたり穆王八疋の駒に乗りて霊前浄土に至る。佛是をみそなわして梵語を知らざる故に漢語を以て此の品を説玉ふなり。是を如来直説の漢語と云也。仍って梵語に非ず。去れば羅什此れを譯さざるを深意と云也。一義に云く、羅什の譯也、証拠は聖徳太子の前世は南岳大師而して聖徳太子の我前世の持經の本有るべしとて・・大臣を大唐に遣し日本へ取り寄せ玉ふ。是南岳大師の自筆の経也。

『聖徳太子伝略』「十五年丁卯夏五月、太子、奏して曰く、「臣が之先身に漢土に修行して持せし所の之經、今衡山に在り。望らくは使を遣して將來し、誤る所の之本に比挍せん」と。天皇、大に竒(き)とし、「左之右之(ともかくも)奏するに依らん。誰を使はす合(べ)きや」と。太子、遍く百官の人を相して、奏して曰はく、「大禮小野の臣妹子相に合(かな)へり」と。秋七月に、妹子等を於大隋に遣す。」

正しく世尊偈之在り。天台御自筆の経は我山の法華堂にあり彼の經にも世尊偈之有り。故に崛多三蔵(523年 - 601年。北周から隋に来唐。601年「添品妙法蓮華経」を訳出)隋の代の人なれば南岳(515年~577年。中国・南北朝時代の北斉の僧。)天台(538年~597年。陳・隋時代)よりも以後の人也。知りぬ崛多所譯の添品法華の偈を切續に非ず正しく羅什の譯と覚へたり。之に付て羅什の譯ならば天台能譯なしやと云に此の偈を見るに餘に観音の奇特無量なる相を説玉ふ。故に末代不信の者の是を見て悪見を起こし悪道に堕すべき故に是を恐れて造り給はざるなり云々。

「世尊妙相具 我今重問彼  佛子何因縁 名爲觀世音  具足妙相尊 偈答無盡意  汝聽觀音行 善應諸方所 弘誓深如海 歴劫不思議  侍多千億佛 發大清淨願    我爲汝略説 聞名及見身  心念不空過 能滅諸有苦    假使興害意 推落大火坑  念彼觀音力 火坑變成池  或漂流巨海 龍魚諸鬼難  念彼觀音力 波浪不能沒  或在須彌峯 爲人所推墮  念彼觀音力 如日虚空住  或被惡人逐 墮落金剛山    念彼觀音力 不能損一毛  或値怨賊繞 各執刀加害 念彼觀音力 咸即起慈心  或遭王難苦 臨刑欲壽終    念彼觀音力 刀尋叚叚壞    或囚禁枷鎖 手足被杻械 念彼觀音力 釋然得解脱  呪詛諸毒藥 所欲害身者   念彼觀音力 還著於本人    或遇惡羅刹 毒龍諸鬼等    念彼觀音力 時悉不敢害  若惡獸圍遶 利牙爪可怖  念彼觀音力 疾走無邊方  蚖蛇及蝮蠍 氣毒煙火燃    念彼觀音力 尋聲自迴去  雲雷鼓掣電 降雹澍大雨    念彼觀音力 應時得消散」凢そ此の偈は廿六行あり。初めの一行は無盡意の問なり(世尊妙相具 我今重問彼  佛子何因縁 名爲觀世音)、次に「具足妙相尊 偈答無盡意」と云は無盡意の言に非ず佛の言にも非ず。是阿難結集の言なり。次に「汝聴観音行」より下は如来の答也。汝聴観音行と云は行者利益衆生の行なり。されば次下は「善應諸方處」となす。方所とは横十方竪に三世偏利益し玉ふ相なり。次に「弘誓深如海」の一行に付きて相別の願あり。初めに「弘誓深如海」等は総願なり。夫れとは四弘誓願也。観音の誓願広大なる事大海の如しと説玉ふなり。さて「侍多千億佛」等は別願なり。観音には十八の大願之在り。多千億の諸仏に侍へて大清浄願を発す。説き盡し難し、故に略して説事なり。「聞名及見身」といふは観音を見奉り或いは名号を聞く者は廿五有の諸苦を滅すと説玉ふなり。廿五有とは俱舎頌に云、四州、四悪趣、六欲、梵天、四禅、四空處、無想五那含なり。「假使興害意」より下は冥の利益を頌るなり。但し此の中には長行に無き事多し。之の初め「假使」一行は長行の七難の中の火難の相を答るなり。

次「或漂流巨海」の一行は水難の相なり。外書に云、巨といふは大の義なり。大海を巨海と云なり。さて龍は常の如し。魚といふは  クジラワニなんどの類也。「或在須弥峯」事「如日虚空住」といふに付て下へ落ちず殊勝なれども日の如く虚空に有りては迷惑の事なり。如何となれば日の虚空の中に住するが如く安穏なりと云事なり。

「或被惡人逐 墮落金剛山」とは一説鐵圍山といふなり。此の山は一大三千界の総垣なり。故にここもとには須弥も金剛山もなし、されども高山の峰なんどより落ちる時も観音を念ずれば一毛も損ずべからざるなり。

「呪詛諸毒薬」の事、呪詛と云は人をのろふ事なり。或は呪詛し或は毒を以て害されんとするときも観音を念じ奉れば、呪詛還て本人に著するなり。毒害すること能はざえうなり。さばた論に人を呪詛する相をのべたり。たとひきのふふか今日か死したる新しき死人の野外に捨てたるを取り来て黄なる土を以て頂より足まで壁のごとくぬりまはし、白絹を着せ首に鈴を付けて両手に刀を持せ屍鬼を屍中に祭籠めて呪詛する主は枕本に居て呪詛の陀羅尼あり、此の陀羅尼を唱るなり。此の如くすれば死人が起き上がりたれをころすべしともものをいふなり。そのとき呪詛する主誰を殺せと云付る也。之を聞き行てころさんとするとき其の人若し観音を念じ又は此の品を読めば害すること叶はず持ちたる刀を徒にせざる法なれば帰りて云付けたる主を殺すなり。之に付てさては観音の利益偏頗ありいかにといふに、立ち帰て本の主を殺す事は更に観音の所以に非ず。呪詛神法なり云々。是則ち鬼神に横道無き故也。一度も人を殺せといひ付けたる故人を殺さでは叶はざる思故なり。

甫に云、昔天竺に一人の婆羅門あり。田家に於いて食を求るにいそがはしきことありて食を與へざる也。婆羅門腹立ちて帰りて死鬼を祭て呪詛するなり。而にこの婆羅門の隣に得道の羅漢御座す。この事を知りて田家の主に行き告げ玉へり。田家の主如何んが仕るべきやといふとき、羅漢三帰を授く。仍って死鬼来て殺さんとするときも南無佛陀那、南無達磨那、南無僧伽那と唱る故に三宝守護し玉ふなり。而に殺すこと叶はず立ち帰りて云付けたる婆羅門を殺さんとするなり。このよしを羅漢知りて帰て本の主に立帰て授け玉ふなり。此のとき、婆羅門も悪心を改め三宝に帰す。故に彼の鬼は田家と婆羅門との中間を往来すれども叶ず終に両方ともに発心したる功徳に依りて鬼神も邪心を改め正路に帰する也。羅漢の通力を以て三人ともに発心せしむるなり。還って本人を着なたむるとよむ点あり。このこころなり。(觀音義疏記卷第四「還著本人者。凡呪毒藥。乃用鬼法欲害於人。前人邪念方受其害。若能正念還著本人。如譬喩經中。有清信士初持五戒。後時衰老多有廢忘。爾時山中有渇梵志。從其乞飮。田家事忙不暇。看之遂恨而去。梵志能起尸使鬼。召得殺鬼。勅曰。彼辱我往殺之。山中有羅漢。知往詣田家語言。汝今夜早然燈勤三自歸。口誦守口身莫犯偈。慈念衆生可得安隱。主人如教通曉念佛誦戒。鬼至曉求其微尤。無能得害。鬼神之法人令其殺。即便欲殺但彼有不可殺之徳。法當却殺其使鬼者。其鬼乃恚欲害梵志。羅漢蔽之令鬼不見。田家悟道梵志得活。輔行引此云。正是觀音經中還著於本人之文。」)。傳に云、「還着於本人」とは呪詛せんと思心は菩薩の慈悲の心に背くなり、されば設ひ人を呪詛するとも又片心に観音を念ずれば任運に慈悲心が起こって呪詛の心の息むを著(なだ)むとはいふなり。「着」といふときものろふ心がやめば還って本心を付て云也。

「雲雷鼓制電」の事、延喜帝は菅丞相の雷と成り玉ふときも此の文を唱て難を免れ玉ふ也。(清涼殿落雷事件で醍醐帝は無事だったことを言うか?

「衆生被困厄 無量苦逼身  觀音妙智力 能救世間苦  具足神通力 廣修智方便   十方諸國土 無刹不現身」

「衆生被困厄」の事。柯山の周琳の註に、此の一行は長行の三毒二求を頌すといへり(觀音義疏記 ・知禮「二衆生下一行總頌三毒二求。一切衆生多於界内貪瞋邪見。及以界外三毒之惑。外則無於報得男女。内則乏於定慧男女。致招二種生死困厄。是故名爲無量苦逼。若其能以正助爲機。即感眞身妙智之力。救於二種世間之苦。疏解長行三毒二求。」)三毒の苦女人の二求の心の苦、懐妊の身の苦等なれば無量の苦也。さて観音妙智力といふは法華経の力と云事也。是則ち故に知る観音妙法躰同として衆生を利益し玉ふと云事なり。故に能救世間苦と云なり。之に付て救世観音と云事は此の能救世間苦の文を本と為すなり。いずれの観音も世間の苦を救玉へどもとりわけ二臂の如意輪観音と習ふ也。具足神通力の事、此の一行は長行の「應以佛身」より「執金剛身」までの三十三身を頌るなり。菩薩は万善万行を具足し玉ふ中に先ず衆生利益の時は神通を現じて衆生に信心を起こさせて後に法を説き教化し玉ふなり。「具足神通力」と云は丗三身の現身也。「廣修智方便」と云は説法教化なり。是則ち神通無れば種々の身を現ずる事叶はず。智慧無くして機に應じ説法教化すること叶はざる故也。仍って此の一行に三業の利益を収めたり。「具足神通力」は身業の「利益廣修智方便」は意業口業とも之有るべき也。

「種種諸惡趣 地獄鬼畜生生老病死苦 以漸悉令滅」此の文は長行の「以種々形遊諸国土」の文を頌するなり。観音は奈落を栖とし罪人を友として悪趣の衆生を利益し玉ふものなり。科註に云、種々の悪趣と云は、九界に通じ佛に望むは皆悪と名くるといへり(觀音玄義記卷第二「若造九界亦須因縁。九界望佛皆名爲惡。」)

「生老病死苦」の事は余所に云如し。

「以漸悉令滅」の事、柯山の周琳の註に云、生死の苦を救ひ涅槃の楽を與ふることは漸次にして速疾に非ず。水火等の難の如くには非ず。無始以来の業障なるゆえなり。之に付て丗三身の現身説法の時地獄界の身を現ずるかと云は論議なり。而に丗三身の中には之無しと雖も、今の文に地獄畜生と説く故に之現じ玉ふべきなり。但し龍樹智論には、菩薩地獄を利するには多く佛身を現ずと。(大智度論初品中迴向釋論第四十五「佛所度者無量無限。菩薩雖作佛身。不能遍滿十方世界。佛身者普能遍滿無量世界。所可度者皆現佛身」)故に丗三身の初めの「即現佛身」と云が地獄界を利益し玉ふ姿なり。別して烔燃猛火の身を現じ玉ふとはこころふべからざる也。

 

 

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