日本書紀・持統天皇4年(690)のところに、筑後国上陽郡(今の八女市)の住人大伴部博麻という稀代の愛国者の事が記録されています。当時から、中国・朝鮮半島とは緊張状態であったことが分ります。 . . . 本文を読む
法性は高野八傑の一人。高野山寶性院開基。字は覚圓、正智院明任の神足にして神府独朗、慧辨利快なり。覚海法将に就きて宗義を究め、三寶院憲深に従って事相の源底を叩き、嘗て高野山に法性院を建て盛んに密乗を宣揚し、英彦風猷を慕てその門に集まる者多し。仁治三年1243秋、大傳法院方と金剛峰寺方との争議に連座し出雲国に配流せられ、寛元三年1245十月二十一日謫所において寂す。著に顕密問答鈔あり。師常に同法道範等 . . . 本文を読む
「高野春秋」「(延喜二十一年921十月)二十一日。勅す。檜皮色法衣人襲を贈大僧正空海入定庿所に贈らんと欲す。之を製裁せしむべし、と。天皇(醍醐天皇)今暁霊夢叡慮在る故也。御夢とは、大僧正来現して云く、帝我が為に檜皮色御装束一襲を裁製し野山入定の庿所に贈賜焉云々。天皇甚だ御感也。又御伝に外記日記を引て云く、十月二十一日己卯天晴、野山の勅書少納言平維相之を艸す云々」 . . . 本文を読む
今日は弘法大師号が賜勅された日。
『勅す。琴絃旣に絕へ、遺音更に淸し。蘭叢(らんそう)凋むと雖も、餘香猶ほ播しく。故贈大僧正法印大和尙位空海、煩惱を鎖弃(しょうき)し、驕貪を抛却して、三十七品の修行を全うし、九十六種の邪見を斷たつ。密語を受る者、山林に滿ち、眞趣を習ふ者もの、淵藪を成す。況んや太上法皇久しく其の道を味ひ、其の人を追念す(注1)。誠に天に浮の波濤と雖も、何ぞ石を積の源本を忘れん。宜 . . . 本文を読む
今日は空也上人没後1050年に当たります。
天禄3年9月11日(972年10月20日)、京都の六波羅蜜寺において、70歳にて示寂されています。ことしは没後1050年です。
空也上人は衆生の苦しみを何とか軽減したいと種々の方便を施されています。
1,皇代記・天暦五年951に「京畿疫死、光勝(注)十一面観音像を自刻し之に祈る、 疫則ち止む、六波羅寺を創り、像を奉安す」
(注)光 . . . 本文を読む
今日は古義真言宗官長高岡 隆心師遷化の日です。高岡 隆心師は慶応2年12月15日(1867年)新潟県中頸城郡に生まれ、高野山高岡増隆師の門に入り、古義大学林卒業、大正9年高野山宝寿院門主修道院長、大正13年初代高野山大学長、昭和9年高野山金剛峰寺座主同宗管長。北支・満州・朝鮮を巡錫し病を得て昭和14(1939)年10月19日遷化。密教辞典には「仏教・神道・事相に詳しく徳望高い名僧」とあります。 . . . 本文を読む
『宇多天皇御記(寛平御記)』(仁和四年888十月)に「十九日。辰刻。我が国は神国なり。囚りて、毎朝、四方の大中小天神地祇を敬拝す。敬拝の事、今より始めて後、一日も怠る無と云々」
「毎朝御拝」について「天皇と宗教(小倉慈司・山口輝臣)」では「通説では宇多天皇の仁和四年十月の毎朝御拝が初例と解されているが、・・それ以前も行われていたと可能性も考えられる。この毎朝御拝は「中右記」天仁元 . . . 本文を読む
今日弘安7年1284、10月19日は叡尊が後宇多天皇に菩薩戒を授戒した日です。「金剛仏子叡尊感身学正記」に「主上、臣下等四十八人奉授菩薩戒」と。
1.第九十一代後宇多天皇は在位:1274年3月6日〈文永11年1月26日〉から 1287年11月27日〈弘安10年10月21日〉)。諱は世仁(よひと)。大覚寺統の天皇。中世日本最高の賢帝の一人で、対立する持明院統の花園天皇か . . . 本文を読む
以下密教辞典等に依ります。
信忠・・鎌倉若宮僧正・東寺長者・勧修寺長吏。弘長二年1262~元亨二年十月十九日(六十一歳)。関白藤原忠家の息。幼くして勧修寺勝信の室に入り弘安年中に伝法灌頂を受け、諸尊儀軌を学ぶ。道寶について密教・三論を受ける。弘安十年勧修寺長吏。正応年中に鎌倉若宮別当・東寺長者。寛元二年仙洞において愛染王法を修す。延慶三年東大寺別当。 . . . 本文を読む
史料綜覧 巻五 / 文永十一年(1274)十月十九日条「十九日(中略)蒙古ノ兵 筑前今津ニ寇ス」史料綜覧 巻五 / 文永十一年(1274)十月十九日辛酉条「十九日辛酉(中略)今夜 蒙古襲筑前早良郡」・『金剛仏子叡尊感身学正記』には「文永十一年甲戌、(叡尊)七十四歳。十月五日蒙古人著対馬」「十月二十日、着博多、即退散畢」・ウキぺデアには、文永十一年(1274)「10月16-17日、元軍は肥前沿岸の松 . . . 本文を読む
10月18日は古来地震が多い日です。 ・三代実録 / 元慶元年(877)十月十八日乙酉条「十八日乙酉 地震」・史料綜覧 巻九 / 明応六年(1497)十月十八日条「十八日 畿内地震」・史料綜覧 巻九 / 明応七年閏(1498)十月十八日条「十八日 京都地震」・1644年10月18日(寛永21年9月18日) 地震。羽後本荘 ・象潟で津波死者117名。本荘城廊大破・2012年10月18日新潟県中越地方 . . . 本文を読む