「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「メゾン・ド・ヒミコ」

2006年05月10日 11時28分00秒 | 映画
 
 昨日書いた「ブロークバック・マウンテン」と同じく、ゲイの人が主人公の映画「メゾン・ド・ヒミコ」を去年観ました。

 不思議な雰囲気の映画でした。

 銀座のゲイバーの伝説のママ・卑弥呼(田中泯)があるとき突然姿を消し、ゲイの老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」を開きます。

(老人ホームといっても職員も医療者もいないのですが。)

 数年後のある日、沙織(柴崎コウ)の所に春彦(オダギリ・ジョー)が訪れ、卑弥呼が末期がんなので、世話をして欲しいと言います。

 卑弥呼はかつて沙織を捨てた実の父、春彦は卑弥呼の愛人でした。

 沙織の母は夫(卑弥呼)がいなくなって心労で病に臥し、間もなく亡くなってしまいました。

 沙織は父を嫌っていますが、母の医療費で借金があり、春彦がお金を払うというので老人ホームで働くことにします。

 沙織は初めは老人ホームに嫌悪感を持っていましたが、ゲイの老人たちと接するうち次第に気持ちの変化が起きてきます。

(ゲイというよりも、戸籍上の性と異なる性を生きている、「トランスジェンダー」〔*注〕としてのアイデンティティの問題を抱えた人が、中心に取り上げられていましたが。)

〔*注:明日のヤフーブログの記事参照。
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34207010.html〕

 周囲に事実を隠したまま歳を取り、死を目の前にするゲイの人の問題や心情を、ユーモラスにシリアスに描いていました。

 構築的なシナリオでもなく、エピソードが重ねられていくのですが、沙織たちの複雑でデリケートな心の揺れや、開放的なアクションによる表現に胸を打たれます。

 ゲイの人たちとの交流を通して、ラストは人と人との繋がりが感じられる佳作でした。

 柴崎コウがすっぴんのようなメイクダウンで好演し、オダギリ・ジョーがとてもかっこよく見えました。

 また、キスだけのラブシーンが無性に官能的でした。
 
コメント
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