「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

性のミステリー(2)

2006年05月16日 19時47分24秒 | 心理
 
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34547969.html からの続き)

 染色体の問題で、生まれた時に男性器が女性器のように小さい男の子もいます。

 その子は女子だと判断されて、女の子として育てられ、何の問題もなく女の子として育ちます。

 第二次性徴が現れるまでは、疑問を感じることもありません。

 つまり体の本来の性とは関係なく、性自認は後天的に確立されるということなのです。

 「人は女に生まれるのではなく、女になるのだ」どいうボーボワールの言葉。

 それは、“女は女らしく” “女は~~でなければならない”というジェンダー役割から、女性を解放するフェミニズムの理論的根拠になりました。
 

 しかし、話はそう簡単ではありません。

 この説に反する、次のような例も存在するのです。

 生後7ヶ月の双子の男の子のうち、一人が事故でペニスを失ってしまいます。

 臨界期を過ぎる前だったので、その子は女の子として育てられることになりました。

 もう一人の兄弟とは明らかに異なる成長を見せ、女の子の服や人形を好むようになりました。

 ところが、この子は実は自分の性に違和感を持ち続けており、

 14才になると、それまで受けていた女性ホルモンの投与を拒否します。

 そして男として生きることを選び、手術を受けて男に戻ったのでした。

 その後25才で女性と結婚したということです。
 

 要するに、性自認は先天的な性に関係なく環境によって決まる場合もあるし、

 後天的に変えることはできないケースもある、ということなのです。

 そもそも「性同一性障害」は、生まれ育った性別にどうしても馴染めず、それに耐えられないという症状です。

 例えば男性として生まれ育ったのに、どうしても自分は女だという意識が捨てられず、

 女らしくなりたいと求めずに入られないわけです。

(それはフェミニストにとっては敵でした。)

 セクシュアリティにはひとつの決まったパターンは存在しません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34698821.html
 
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