(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34547969.html からの続き)
染色体の問題で、生まれた時に男性器が女性器のように小さい男の子もいます。
その子は女子だと判断されて、女の子として育てられ、何の問題もなく女の子として育ちます。
第二次性徴が現れるまでは、疑問を感じることもありません。
つまり体の本来の性とは関係なく、性自認は後天的に確立されるということなのです。
「人は女に生まれるのではなく、女になるのだ」どいうボーボワールの言葉。
それは、“女は女らしく” “女は~~でなければならない”というジェンダー役割から、女性を解放するフェミニズムの理論的根拠になりました。
しかし、話はそう簡単ではありません。
この説に反する、次のような例も存在するのです。
生後7ヶ月の双子の男の子のうち、一人が事故でペニスを失ってしまいます。
臨界期を過ぎる前だったので、その子は女の子として育てられることになりました。
もう一人の兄弟とは明らかに異なる成長を見せ、女の子の服や人形を好むようになりました。
ところが、この子は実は自分の性に違和感を持ち続けており、
14才になると、それまで受けていた女性ホルモンの投与を拒否します。
そして男として生きることを選び、手術を受けて男に戻ったのでした。
その後25才で女性と結婚したということです。
要するに、性自認は先天的な性に関係なく環境によって決まる場合もあるし、
後天的に変えることはできないケースもある、ということなのです。
そもそも「性同一性障害」は、生まれ育った性別にどうしても馴染めず、それに耐えられないという症状です。
例えば男性として生まれ育ったのに、どうしても自分は女だという意識が捨てられず、
女らしくなりたいと求めずに入られないわけです。
(それはフェミニストにとっては敵でした。)
セクシュアリティにはひとつの決まったパターンは存在しません。
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34698821.html