「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「『ジェンダーフリー』の誤解」の誤解

2006年05月13日 20時11分05秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34296397.html からの続き)


 きのうの朝日新聞に、ジェンダーフリーに関する記事が載っていました。

 「ジェンダーフリー」という言葉が使われるようになって、もう10年くらいになるのでしょうか。

 「男は仕事、女は家庭」という性役割など、社会的・文化的に作られた性である「ジェンダー」を見直し、

 固定的な男らしさ女らしさにとらわれず、自分らしい生き方を求めるのが「ジェンダーフリー」ですね。

 しかしフェミニズムと連動してのことでしょうか、従来の男女差別的な慣行に対する反動で、

 “ジェンダーフリー”がエスカレートしてしまいました。

 教育現場などでは、男女を少しでも区別するようなことはいけないと言われ、問題になりました。

 例えば、女の子に「かわいい」と言ってはいけないとか、先生が小学生の男の子にも「さん」付けで呼ぶとか。

 ジェンダーフリーの考えに対する偏った誤解ですが、

 その行き過ぎが批判されるようになり、今度はまたその過度の揺れもどしが起きているそうです。

 「ジェンダーフリー思想」を広げてはいけないという理由で、女性センターが廃止され、

 ドメスティック・ヴァイオレンスなどの受け皿がなくなったとか。

 また、「ジェンダーフリー」という言葉を表題に入れた市民企画が、市の広報に掲載拒否されたりとか。

 どうしてこう極端から極端へ走ってしまうのでしょう……。(- -;)

 男女共同参画局は、「ジェンダーフリー」という言葉自体を不使用としているそうですが、

 過剰な差別用語狩りや自己規制と似た動きです。

 言葉が誤解されているのであれば、正しい理解を広めるよう努力すべきでしょう。

 「ジェンダーフリー」という言葉が消えてしまっては、作られた男女観にとらわれず個性を発揮するという、

 本来の価値観自体も埋もれてしまいます。

 また、個性を抑圧する押しつけられた男女らしさではなく、

 自然で自由な個性を活かすような男女らしさもあるはずです。

 そんなことも踏まえて、「セクシュアリティ」の記事の連載を続けていきたいと思います。

(続く)
 
コメント
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