( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34296397.html からの続き)
きのうの朝日新聞に、ジェンダーフリーに関する記事が載っていました。
「ジェンダーフリー」という言葉が使われるようになって、もう10年くらいになるのでしょうか。
「男は仕事、女は家庭」という性役割など、社会的・文化的に作られた性である「ジェンダー」を見直し、
固定的な男らしさ女らしさにとらわれず、自分らしい生き方を求めるのが「ジェンダーフリー」ですね。
しかしフェミニズムと連動してのことでしょうか、従来の男女差別的な慣行に対する反動で、
“ジェンダーフリー”がエスカレートしてしまいました。
教育現場などでは、男女を少しでも区別するようなことはいけないと言われ、問題になりました。
例えば、女の子に「かわいい」と言ってはいけないとか、先生が小学生の男の子にも「さん」付けで呼ぶとか。
ジェンダーフリーの考えに対する偏った誤解ですが、
その行き過ぎが批判されるようになり、今度はまたその過度の揺れもどしが起きているそうです。
「ジェンダーフリー思想」を広げてはいけないという理由で、女性センターが廃止され、
ドメスティック・ヴァイオレンスなどの受け皿がなくなったとか。
また、「ジェンダーフリー」という言葉を表題に入れた市民企画が、市の広報に掲載拒否されたりとか。
どうしてこう極端から極端へ走ってしまうのでしょう……。(- -;)
男女共同参画局は、「ジェンダーフリー」という言葉自体を不使用としているそうですが、
過剰な差別用語狩りや自己規制と似た動きです。
言葉が誤解されているのであれば、正しい理解を広めるよう努力すべきでしょう。
「ジェンダーフリー」という言葉が消えてしまっては、作られた男女観にとらわれず個性を発揮するという、
本来の価値観自体も埋もれてしまいます。
また、個性を抑圧する押しつけられた男女らしさではなく、
自然で自由な個性を活かすような男女らしさもあるはずです。
そんなことも踏まえて、「セクシュアリティ」の記事の連載を続けていきたいと思います。
(続く)