壮絶、 甚大、 驚天動地、 どんな言葉も色あせてしまう 未曾有の震災に、
レンズを向けていた カメラマンたち。
かつてない体験に、 彼らは苦悩していました。
泣いている人、 叫んでいる人、 呆然としている人……。
閉じ込められている人を、 担ぎだして救助している人。
自分はこの現実を 記録として残すべきか、 自分も 目の前の人を助けるべきか。
カメラを置いて 救助をしたカメラマンも、 何人もいるそうです。
あるカメラマンは、 カメラマンになったことを 後悔したといいます。
悪夢を見ているとしか思えない、 何を撮っていいのか分からない、
100時間かけても 現状を表現することはできない。
自分は 物資を供給することも、 人を助けることも、 何もできない。
カメラマンというのは お邪魔虫でしかないと、 無力感に駆られた人もいます。
人の不幸を撮るのは 申し訳ないという気持ちと、
歴史的瞬間を取材しなければならない という気持ちの葛藤。
救助を求める人を ヘリコプターから写すより、
行政に伝えた方がいいのではないか?
膨れ上がった海が 船や家を押し流す光景に、 泣きながらカメラを回し、
今も夢に出ては 目が覚めるという人。
目の前で 自宅を流されながら、 波打つ足下の濁流を 撮り続けた人。
仙台空港のヘリに 間一髪飛び乗って、 津波に向けて シャッターを切った人。
しかし、 そうして苦労して放送しても、 停電でテレビを見ることができない。
一体 何のために放送しているのか?
いや、 ワンセグで見ている人がいるかもしれない。
カメラマンや放送局の人たちは、 そんな極限の葛藤の中で、
懸命に撮影や放送を 続けていたといいます。
そうして残された 貴重な映像は、 人々に重要な情報を送っています。
必ず後世にも伝えられ、 防災の研究や啓発などに 寄与するに違いありません。
〔 参考資料 : テレビ朝日 「ANN報道特別番組」 , 朝日新聞 〕