ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

衰退する商店街に活路はあるのか

2006-06-26 22:56:39 | 時事
 前から気になっていた話題である。たまたまネットで以下の記事を見かけた。

失敗できない時代の住宅選び 長嶋修
第41回
地域の要、商店街は今どうなっているのか
~「がんばる商店街77選」の問いかけ~


このコラムで取り上げられていた「がんばる商店街77選」には関心があった。私が生まれ育った地に近い商店街が2カ所「にぎわいあふれる商店街」として取り上げられているし(でも、最も近い商店街はほぼ死んでいる……^_^;)、記事には「報告書には上がっていないが」と書かれているが「アイデア商店街」にノミネートされている早稲田の商店街とは20代半ばで親元を離れた時に住んでいた地区とかなり近く、さらに同じく「アイデア商店街」に取り上げられている函館の「バル街」にも土地勘がある……。

 商店街の中ではないが近くに生まれて暮らした自分には、たとえば毎日の夕食のおかずをその日の夕方に買い回りすることが当たり前。週末に郊外のショッピングセンターに車で乗り付けて冷凍食品を買いだめするような生活はできない(第一、車の免許を持っていない^_^;)。だから、商店街の盛衰は、気に掛かる。

「“謝罪”と“自分の主張” 同時にしてはいけません」

2006-06-26 12:58:36 | しごと
 実行するのは難しいが、もっともだと思ったのでクリッピングさせていただく。

NBonline(日経ビジネス オンライン)
“謝罪”と“自分の主張” 同時にしてはいけません
苦手な「クレーム対応」にどう立ち向かう?

大橋 悦夫,佐々木正悟

 苦情メールに直面した時の暗澹たる気分は非常に嫌なものですが、先方が苦情メールに至るまでに時間をかけて蓄積されたストレスを考えれば、「割の合う」ものなのだと思います。むしろ、じわじわ痛めつけられたりするよりも、メール1本で瞬間風速的に嫌な気分にさせられる方が凌ぎようがあるからです。

 それゆえ、ぐっとこらえてまずは謝罪することが先決です。


 頭でわかっていても、実行するのはなかなかに難しいのですが、確かにそうなんですよね……。

 一般に、他者の行動はその人の内的属性に、しかし自分自身の行動は状況に、原因を帰属しがちなのです。おそらく大橋さんが書いた「謝ることを迫られたエピソード」でも、このバイアスが働いています。これは、非常に自然な人間心理なのです。苦情メールの内容は私には分かりませんが、大橋さんが「こちらとしても言い分があり」と言っているのは、大橋さんの「事情」のことと、推測されます。「過失」の原因は「事情」。すなわち、「外的」な事象によるものと、「行為者」である大橋さんには見えたわけです。

 一方で、苦情メールを送信した側からすると、過失については「観察者」ですから、過失の原因を大橋さんの「内部」、すなわち信用できる人かどうかとか、ちょっと極端になってくると、人格とか能力といったことを、問題になさったかもしれません。ここが、苦情が人を傷つけ、苦情を言われた方が、素直に謝りにくい気持ちにさせられる所以です。原因が「内的帰属」へと傾いているために、謝ってしまうと、自分の人格を否定されたように感じられてしまうのです。


 その通りだと思います。そして、自己愛性パーソナリティの傾向が強い人は、自分が引き起こしたミスや過ちを認めず、他に原因を求める他責の行動が極端に強く出るんですよね……はぁ(嘆息)。


「ダイバーシティ」が人事用語でなくなってきたのか

2006-06-26 12:54:04 | しごと
日経ビジネスオンライン
これからのダイバーシティーマネジメントを考える(前編)
セクハラ事件に見る企業のリスク管理
米国に学ぶダイバーシティーマネジメント

治部れんげ

最近、企業取材をしていて良い変化を感じるようになった。「高い成果を上げている20~40代の社員に話を聞きたい」と取材申し込みをすると、こちらが何も指定しなくても女性が出てくることが増えている。以前に比べ、子供を持つ女性管理職も珍しくなくなった。長年、男性正社員が中心だった企業の現場が大きく変わり始めているのを実感できる。女性、高齢者、身障者、パートタイマーなど、これまで主戦力とみなされてこなかった人たちも、重要な仕事を任され基幹業務に就くようになっているようだ。

 こうした中、先行する米国企業から生まれた「ダイバーシティーマネジメント」という考え方が日本企業にも役立つと思う。「ダイバーシティー」とは「多様性」のこと。性別はもちろん、国籍、言語から性的嗜好まで多様な属性の人に配慮して働きやすい環境をつくることで、各人の力を最大限引き出そうという取り組みだ。その根本には、優秀なスタッフに心地よい職場を提供し、彼(彼女)らに長くとどまってもらうことが、企業業績にプラスになるという考え方がある。


 「ダイバーシティ」という概念が人事用語でなくなってきたというか、もう少し一般的になってるのは歓迎だ。

北米トヨタのセクハラ事件は、元秘書の女性が元社長兼最高経営責任者とトヨタ、北米トヨタを提訴したもので、215億円という損害賠償請求額の大きさが注目を集めた。企業のリスク管理の視点からこの問題を眺めると、トヨタにはもっとできることがあったのではないかと思える。訴訟内容を見ると、元社長の言動はお粗末で、初歩的なセクハラ研修すら受けていないように見えるのだ。

 トヨタのケースで一番問題なのは「権力の濫用だ」と、コッブス博士は指摘する。セクハラで問題になるのは、被害者側の同意の有無。しかし、仕事で上下関係にあるなど「ノー」を言えない相手に関係を求めた場合、たとえ相手が「イエス」と答えても真の同意であったかどうかは疑わしい。


 日本企業の中ではかなりグローバルに意識を向けているトヨタにして、この程度の問題意識なのか、ということですね。

 「ダイバーシティ」という点でアメリカ企業をスタンダードとするのがいいのかどうかは多少のためらいもありますが……先進的に経験してきたことは確かだとですし、アメリカ企業の中でも優良な企業はきちんとした対応をしていると思います。日本企業と比べると20年程度は経験の差があるのではないかしらん。

職場でも家庭でも疲れる人たち

2006-06-26 12:53:39 | 時事
4人に3人が家でも疲れ うち6割は妻や夫が原因

4人に3人が家庭でも疲れを感じ、うち6割が「妻や夫が原因」と考えている-。疲労回復に良いとされる大豆ペプチドを研究する学術団体「大豆ペプチド健康フォーラム」(事務局東京)が、既婚の男女サラリーマンを対象にしたアンケートでこんな結果が出た。


 家庭が癒しの場というのは幻想なんでしょうか……(汗)。

1032人から回答があり、93%が「とても疲れている」「やや疲れている」と回答。職場で疲れる原因(複数回答)は「仕事量」57%、「人間関係」56%の順だった。


 数字を見ているだけで疲れてくるような、アンケート結果でした……皆さん、お疲れ様です。

宋さん、男性がそう言ってくれると快哉です

2006-06-26 12:32:39 | 時事
 いやぁ、宋さん、よく言ってくれました。

NBonline(日経ビジネス オンライン)
宋文洲の傍目八目
女性がトイレにいても平気な男性の本質

 日本の人はあまり気にかけないのかもしれませんが、日本では女性が正々堂々男性トイレに入る場合があります。既にお分かりだと思いますがそれは掃除の女性です。

 「おばさんじゃない。別に」とつぶやく男性がいるとしたら、それはおかしなことだと思います。あなたは50歳になったら男性としての自覚がなくなるのでしょうか。それとも男性として異性への興味を失うのでしょうか。「子供を産めない女性は女性じゃない」と暴言を吐いた古い政治家が過去にはいましたが…。

 あなたが蔑むおばさんたちは、つい最近まで若い女性であり、彼女たちの心は少しも「女性」の部分を失っていないはずです。生活の知恵と心の忍耐力は増している分、さらに魅力的な女性になっているかもしれません。中高年であっても女性が傍らにいると、僕はとてもではありませんが用を足すことはできません。

 もちろん、ほとんどの人は女性を気にかけながらも仕方なく利用していると思います。僕が気にしているのは、あなたの中に知らないうちに「女性を女性として見ない」ような自分はいないのか、ということです。


 いやぁ、ツカミからしてスマッシュヒットです。

 僕が強調したいのは、この現代社会になぜ女性がすべて家事や教育の責任を負わなければならないかということです。男性とともに女性が職を持つことが当たり前になっている今日に、女性の負担を減らさないのはアンフェアです。

 体力的な面から考えても当然のことです。新聞によると、共働き夫婦でも、ほとんどの家事は女性がこなしているという現実があります。これではあまりにもアンフェアです。


 うんうん、と頷いてしまいました。女性の労働力活用はどんどん進めて欲しいですが、家事や育児における役割も労働もそのままで(さらに老人介護の負担まで?)というのは虫がいい話ではないかと思うのです。

 「子育てはお母さんの手で」というフレーズも夢があります。「母親の手で料理を作り、母親の手で子供を育てる。これこそ日本の伝統だ」と言う人は日本の原風景を知らないだけです。

 子供が10人もいて、お祖母ちゃんや上の兄弟が母親の役割を果たしていたのは、つい最近のことでした。白いご飯を食べられるのならば、誰が作るのかは問題でなかった時代もあります。そんな時代を過ごしてきても、日本人は立派に明治維新を成し遂げ、近代国家を築き上げてきたのです。

 雑務と偏見を取り払わない限り、日本の女性は真の社会進出ができないでしょう。それは人間として、あまりにも悲劇だと思います。こんなことを言っている私が、先のジャーナリストや占い師のような女性から非難されることも覚悟しています。


 拍手っ!! 同じ主張でも女性の主張だとすぐに拒絶する男性諸氏に読んでいただきたいエッセイでした。