ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

久々に立花隆

2006-06-27 22:02:11 | 時事
 久々にキターという感じです。

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」
第76回 小泉演説を封印した一通の書簡「靖国問題はアメリカの問題」

アメリカにとって日本は、これまでアジア最大の政治的軍事的同盟国であり、第一の貿易相手国であり、切っても切れないほど強く結ばれたパートナー的関係にある国とみなしてきた。

しかし、ここにきてアメリカのその認識は大きく変わりつつある。

アメリカにとって米中関係はすでにきわめて大きなものになっていて、米日関係と比較したときに、これまでのように、単純に米日関係のほうが大事とすぐに決められない場面がいろいろと出てきている。

特にこの靖国問題のように、日本側の主張にアメリカにとって納得がいかない部分が含まれている場合には、アメリカがその言い分を支持して行動を起こすというようなことは基本的にしたくない。ことにその問題が関係国の間で、感情的に燃え上がりやすい要素を含んでいる場合には、アメリカは手を出したくない。

アジアにおいて日本は基本的にアメリカと一体の国とみなされている。しかし、日本と一体と見られることがアメリカの戦略上アメリカに不利となる場合には、アメリカは日本と行動を共にすべきではない。そして靖国問題はそのようなケースだという判断がジアラ氏の考えの基本にある。


 小泉首相はすでに意地としか見えない靖国参拝をもって日米関係にもヒビを入れてしまうのだろうか、と、暗澹たる思いです。

「夫の海外転勤で辞めないで 丸紅、最長3年の休職制度」

2006-06-27 21:18:33 | しごと
夫の海外転勤で辞めないで 丸紅、最長3年の休職制度

 丸紅は26日、配偶者が海外転勤になった場合でも、社員が退職しなくても済むように、最長3年間の休業を認めるなど、社員の育児・介護を支援する制度を強化すると発表した。7月から適用する。
 丸紅によると、配偶者の転勤に伴う休業制度は日本企業では珍しい。「少子化を見据えた労働力の確保や、女性社員の活用が目的」としている。


 共働き夫婦が増えていく中、必要な施策だと思います。

 ただ、ひとつ質問。「妻の海外転勤に伴う夫への措置」はつくる予定がないのでしょうか?

サッカー徒然

2006-06-27 21:18:17 | 趣味
yahoo!W杯特集
シュタディオンは呼吸する 小宮良之
ローマの王の行方――フランチェスコ・トッティは世界の王になれるのか

 イタリアにおいて、1990年代からいままで絶対的エースとされたふたりの男がいる。

 ロベルト・バッジョ。吸い込まれそうな瞳をした天才は1990年W杯で3位、1994年W杯で準優勝という結果を残す。“無冠の帝王”とも揶揄され、長年にわたってプレーしたユヴェントスでもいつも2位に甘んじたものの、その存在感は英雄とするにふさわしかった。1994年W杯においては、たったひとりでチームを決勝に導く姿は神々しくさえあり、その悲劇性は1990年W杯で沈みかけたチームを救ったディエゴ・マラドーナとも重なった。

 バッジョと入れ替わるように台頭した貴公子が、アレッサンドロ・デルピエーロだ。彼は対照的にタイトルコレクター。ユヴェントスでは幾度もチャンピオンズリーグとスクデットを勝ち取り、クラブ世界王者にもなった。小気味のいいボールタッチと屈強なボディコンタクト、そしてここぞという場面でゴールを決める決定力が融合したプレーは、人々に深く愛される。勝利を求めるときの気迫や執念がとにかく凄まじい。

 ローマの王はスクデットこそ勝ち取ったものの、チャンピオンズリーグでは上位に進んだ経験はない。彼の成功の範疇はイタリアに限られ、越境することができずにいる。彼にはバッジョのような悲劇性も、デルピエーロのような絶対的勝利者としての風格もまだ身に付いていない。


片野道郎の列強Voice「イタリア」
第3回 アズーリ中間考査

◇トッティ(FW):5
2月の足首骨折から復帰して、まだコンディションは75%。試合を重ねるごとに感覚を取り戻しつつあるとはいえ、運動量の少なさ、ラストパスの精度にまだまだ課題が残る。ここからの復調度合いが、イタリアがどこまで前進できるかの鍵を握る。

(中略)

◇デル・ピエーロ(FW):6.5
音信不通。


 デル・ピエーロのファンとしては、昨日のトッティのPKでオーストラリアを下したことが嬉しい反面、デル・ピエーロと交替したトッティが脚光を浴びるのはちと悔しかったりする。

イタリア代表のデルピエロ「僕でも決めたと思う」

 割と冷静にコメントされているようですが。

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ジダンが壊した扉保存へ 独のサッカー競技場

競技場関係者は「国際サッカー連盟(FIFA)に弁償してもらおうとも思ったが、熟慮の結果、サッカー史上、最も偉大な選手の1人にけられてへこんだ扉は保存することにした」と説明した。


 こういうユーモア感覚、好きだなぁ。

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「オシム監督就任」は、JFAのカウンター攻撃
手玉にとられたスポーツメディア

山城 敬

 川淵キャプテン批判が噴出しかかった頃合いの「失言」に始まるオシム監督就任、私も単なる「失言」とは思っていませんでした。

 もちろん、サッカーファンが川淵キャプテンに「辞任」を求めるのは、このような比喩に頼らなくても当然の感情でしょう。しかし、私は今回の件で川淵キャプテンが「辞任」の形で責任を取る必要はない、と考えています。

 川淵氏は、Jリーグ発足以来、強力な指導力で一貫してサッカーの振興とファン拡大に努力してきました。JFAキャプテンに就任してからも、その収入を大幅に拡大し、それを若年層や女子などこれまで日の当たりにくかったさまざまなカテゴリーのサッカー選手へと還元しています。これらの取り組みは未だ緒についたばかりであり、同氏にはこの仕事を続けてもらわないといけません。

 さらに重要な事は、同氏も口にしている通り「代表監督が辞めたら会長も辞任という前例を作ってはならない」からです。

 日本代表チームは、未だ世界レベルで常に勝てる、というには程遠い状況にあります。次回の南アフリカW杯からは、アジア予選にオーストラリアが参加することもあり、出場そのものが難関になるでしょう。

 先ほどの企業の比喩でいえば、主要部門の国内売り上げは絶好調にもかかわらず、海外市場においては大赤字を計上している、といったところ。今後はまたいつ「惨敗」の2文字を見なければならない状況に陥いるか、わからないのです。

 そのような現在、「代表敗退→会長辞任」の前例を作れば、今後代表の敗退が即会長人事に結びつき、JFAは不必要に頻繁なトップ交代を続ける団体になりかねません。


 日本においてのサッカーは、野球などに比べれば、未だ新興スポーツです。そこでは長期的な視野に立った施策を必要としています。さらに、頻繁な人事による人材枯渇は、監督官庁である文科省や政治家からの介入を招き、天下り先として格好の餌食となるでしょう。

 年間予算150億円以上のスポーツ団体が、外部からの介入を最小限に抑えながら運営されている事は、官僚国家・日本では「奇跡的」なことなのです。

 天下りの役人や政治家が跋扈する協会を選ぶのか、それとも、あくまでプレーヤーやファンに支えられた、自立したJFAを維持するのか。この問題はそのような側面もはらんでいるのです。

 もちろん、川淵氏の結果責任は問われるべきす。しかし、それは辞任という究極のものではなく、他の面で行われるべきではないでしょうか。期間を区切った報酬の一部、もしくは全部の返上など、他の選択肢があるはずです。川淵氏はJFA発足以来、始めての「報酬を得た」専任の会長です。その報酬は選手からの登録費収入や、スポンサーからの収入、つまりファンからの間接的な投資を基にしているのですから、こういった考えもあながち的外れだとは思わないのです。


 私も天下りの役人がトップにつくぐらいなら川淵キャプテン続投の方がましだと思っています。

父親は家族に回帰するのか

2006-06-27 13:17:36 | 時事
 家族同士における痛ましい事件が続く中、父親の家族志向を描く連載記事を読んだ。

あいはらひろゆきの「家族ブランディング」
第一回 会社から家へ、居場所を求める父親が家族を変える

むしろ、子どもの学力低下のその先に広がる、日本社会そのものの「地盤沈下」に対する言い知れぬ危機感と言ったほうがいい。「地盤沈下」とは、言うまでもなく「下流社会」の拡大のことである。

子どもたちの学力・学習意欲の低下と下流化の進行とが不気味に重なり合う状況は誰の目にも明らかだ。岐阜県・中津川の女子殺害事件や今回の秋田の事件のような「下流社会型犯罪」とでも呼ぶべき事件も頻発する。今、子どもたちは下流化の波に飲み込まれようとしているのだ。

過熱する「教育ブーム」は、実は下流社会から子どもたちを、そして家族を守るための戦いなのだ。そして、その戦いに今父親たちが積極的に加わりはじめたのだと私は考えている。


 何をもって「下流社会」と定義するのか、そして個々の事件の中にある要因の何をもって「下流社会型」と言うのか、筆者の意図は私にはわかりかねる。

 だが、第二回の連載はなかなか面白かった。

第二回 なぜ今、「家族」なのか?

所得格差の広がりや下流化の流れの中で、家族を維持することもままならないと言われる時代。育児負担や生活不安で、家族を持つことすら躊躇される時代。そんな時代に、なぜ家族が注目されるのだろうか。

いや、むしろ、そういう時代だからこそ、家族に熱い注目が集まるのだと私は考える。

格差社会においては、かつては当たり前だった「しあわせな家族」が、なかなか手に入れることのできないプレミアム(希少価値)なものになる。少子化により、子どもの存在そのものがプレミアム化する一方で、幼児虐待やネグレクト(養育放棄)など子育ての困難さもまた浮き彫りになっている。

子どもには価値があるが、育てるのは大変だ──。そうした認識が社会に蔓延すればするほど、子どもとのしあわせな関係自体は、強いあこがれの対象となりつつあるのだ。


 「しあわせ家族」は贅沢品というか貴重なものだというわけか……まぁねぇ、日本の家族の80パーセントは機能不全家族だという本(別に統計を取ったのではなく、臨床心理をやっている医師の感覚で、ではあるが)を読んだばかりだったし。

我々の調査(読売広告社NEOパパ研究プロジェクト)でも、既にその夢をあきらめてしまった、いわばサバイバル負け組の父親たちが半数近くいることがわかっている。彼らは、経済的に苦境に立たされているだけでなく、家庭内でのコミュニケーションや愛情関係も喪失してしまっており、もはや会社にも家族にも「しあわせ」を求められなくなっているのだ。

そういった厳しい現実が一方であるから、よけいに「家族という夢」を追い求める父親たちのサバイバルは過熱するのである。


 経済的に苦境に湯立たされているだけでなく、家庭内でのコミュニケーションや愛情関係も喪失してしまった「サバイバル負け組の父親」……悲惨な響きがあるなぁ。でも、家族内でのコミュニケーションや愛情関係を喪失してしまったのは、信頼関係が破綻してしまうまで家族とのコミュニケーションや心の繋がりの確認を怠ってきた父親が悪い、と思ってしまう……機能不全家族に育って、いまだに父親と確執を抱えている娘の言い草ですが。

「【初級】部下の『心の病』への正しい対処法」

2006-06-27 12:52:50 | しごと
 まだ新任管理職研修にこういう内容を盛り込んでいないが、現実的にこういうケースも出てきているので心得は必要だろう。

【初級】部下の「心の病」への正しい対処法 第1回
本人任せだけにせず,上司の責任を果たす

 うつ病をはじめとする心の病は,本人だけの問題ではない。上司や同僚など,周囲の人も否応なく巻き込まれる。つまり「組織として対処すべき問題」でもあるのだ。そこで重要になるのが,マネジャーやリーダー,ラインの管理職などの上司が,部下の心の病の「兆候」を早期に発見して適切に対処することと,治療や職場復帰をバックアップすることである。


【初級】部下の「心の病」への正しい対処法 第2回
うつ病の早期発見:理想的な部下ほど要注意

 気が小さい,プレッシャに弱い,周囲の目を気にしすぎる,挫折したことがなく打たれ弱い…。うつ病にかかりやすいタイプとして,こんなイメージを持っていないだろうか。確かに,そういうタイプの人がうつ病にかかることもある。しかし筆者が30年来,ITベンダーでカウンセラーを務めてきた経験から言うと,最もうつ病になりやすい人は違う。それは,「まじめで責任感が強い人」である。

 どんな仕事でも手を抜かない,無理な仕事でもやり遂げようとする,決して弱音を吐かない。そんな部下がいれば,上司としては頼もしい限りだろう。しかし同時に,うつ病になりやすい条件がそろっていることに気を付けなければならない。


 ちょっとギクッとしたりして。私は自分の心弱さを知っているので無理はしないようにしているが、部下は頑張り屋揃いだ。

【初級】部下の「心の病」への正しい対処法 第3回
うつ病の治療:連絡を断ち,休養に専念させる

「自分は部下の信頼を得ている」と思っている上司に,特に気をつけて欲しいことがある。受け入れがたいかもしれないが,治療のために部下が会社を休んでいるときは,心配して上司から電話をしたり,会って話をしたりするのは,やむを得ない事務連絡を除いて,なるべく避けるべきだ。仕事のことを忘れて休養することが,ストレスが原因のうつ病を治療するうえで最も重要だからだ。「家にいるだけでは暇だろう」と考えて,在宅で仕事をさせるのは,論外である。

 休養中に部下と話をする機会があっても,「頑張れよ」,「早く良くなれよ」などと励ましてはならない。励ましは,部下にとって負担になり,かえって症状を悪化させる恐れがある。気晴らしをさせようと,飲食に誘い出すのも禁じ手だ。先述したように,うつ病にかかるのはまじめなタイプが多いので,誘われると無理をして外出してしまう。これがかえってストレスとなり,症状が悪化することがある。


 近々本格的なメンタルケアの仕組みが導入されるので管理職に対する対処のトレーニングも提供されると思うが、とりあえず、「頑張れ」など励ましは禁物という点は今でも新任の管理職に対して言っている。