一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

「俺は、君のためにこそ死ににいく」と言われてもねぇ

2007-05-11 | 余計なひとこと
石原慎太郎製作総指揮・脚本の『俺は、君のためにこそ死ににいく』という映画のポスターを見ましたが、タイトルに違和感があり、気になっていました。


この映画の舞台になった知覧の特攻隊基地を以前行ったことがあります。
隊員の遺品や遺書・手紙などが多数陳列されています。

特攻作戦の資料を見ると敵艦の位置も確認せずに「沖縄方面に行って体当たりしてこい」というもので、しかも戦争末期になるほど使用する飛行機が旧式のものが増え、護衛戦闘機もなくなってきます。

つまり、戦果を挙げるための努力や工夫がなく、出撃すること自体を目的にしていた作戦だったという印象をうけました。

一方で、隊員たちは死を覚悟しながらも、「敵艦を轟沈させる」などの意気込みを語っています。当時は検閲があったからかもしれませんが、その勇ましいさと死の覚悟を淡々と語る文面からは非常に大きな悲壮感を感じてしまいました(それに皆達筆なのにも驚きます)。


などと、思い出してみると、映画のタイトルで一番引っかかっているのは「死にに行く」というところだとわかりました(「こそ」の強調があざとい、とか細かいこともあるんですが)。

隊員は皆死を覚悟して出撃したにせよ、かすかな望みと自覚してはいたのでしょうが戦果を挙げることを目的としていたわけで、単に死ぬのを目的としていたわけではないはずです。

映画自体は観ていないのでなんともいえませんが、「死にに行く」というタイトルでは、出撃すること自体が目的としか思えない作戦の愚かさが自己犠牲のもとに美化されてしまうのではないかな、と思った次第。

そもそも「国のため」という若者を死に追いやる大義名分、と若者が自分を納得するためのひとつのロジックとしての<国を守る=「君」を守る>という考えがあり、それ自体が特攻という無意味な作戦に若者を参加させた原因のひとつだったのではないでしょうか。

多分それをぬきにしてストレートな「君のための自己犠牲」という話にして(またはそういう印象を与えるタイトル)にしてしまうところが、引っかかったのだと思います。
それに、政治家としての石原慎太郎氏のマスコミに取り上げられている言動からは、どちらかというと「国家のために死ぬ」という方を前面に出しそうなんですけどね・・・


そして、そもそも死ぬことが「君」のためになる、と直接つながることってあるんでしょうか。
女性の気持ちはよくわからないのですが、僕が「君」だったらこんなこと言われて死なれたら困ります。

そして僕が「俺」だったとして、もし出撃する前に終戦を迎えることができたらあえてそこで(終戦を悲しんだりして?)自決することはないでしょうし、さらに平和な世の中に生き延びて「君」と結婚でもしてしばらく経った後に「私のために自殺してください」と言われたとしても、真っ平ごめんですw
せいぜい腎臓を片方提供するとかくらいですよね。

「死んで花実が咲くものか」という言葉もありますし。


映画を観ていないのでタイトルだけに文句をつけていますが、なんかとても違和感があったので。
コメント (4)
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