一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

やはり野球は屋外

2007-05-13 | うろうろ歩き


神宮球場に阪神線のナイター観戦に行ってきました。

午後からは陽が差していたのですが、夜になるとまださすがにTシャツ1枚ではちょっと寒いかな、という感じで、ビールの売れ行きはいまひとつのようでしたが、野球観戦には絶好のコンディションでした。


神宮は阪神戦だと3塁側から埋まってしまうのですが、1塁側だと直前でも結構いい席が空いています。
レフとスタンドの阪神の応援団の中だと、野球観戦だか応援歌を歌いにきたのだかわからなくなってしまうので、本当は3塁側の内野席で、ちょっと濃い目の野次を飛ばすオジサンなどの近くだといちばん楽しめます。
この辺がセカンドベストかもしれません(あまり前だと体をひねって見ないといけないのですが、今日はちょうど中間の席が取れました)。


ここのところ私が観戦に行くと3連敗だったので、今回連勝に水を差すのではないかとひそかに心配していたのですが、はらはらさせられながらもどうにか勝って4連勝しました。

今日は売り出し中の林威助(もう応援歌が出来てるw)や狩野、それに葛城という新しいメンバー(上の写真のランナーは代走の赤松)、さらに今期初出場(多分)の野口(途中出場で好リード+ダメ押しタイムリーと大活躍)と、あまり見られない選手が見られてよかったです。
また、ピッチャーも先発のジャンが3回持たずに降板したものの中継ぎの中村泰・ハシケンが好投して何人も見ることができました(JFKはKだけでしかも被弾してたけどw)。




開始直後の日暮れ前の空の明るさとか、打球音や歓声がきれいに抜けていくのを体験すると、やはり野球は屋外に限ると実感します。

この季節はデイゲーム+ビールというのが一番なのですが、神宮は週末は六大学野球があるので贅沢はいえませんw
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『硫黄島からの手紙』

2007-05-13 | キネマ
『父親たちの星条旗』に続いて『硫黄島からの手紙』を見ました。

硫黄島の日本軍には、米国駐在経験のある栗林中将(総司令官)や1936年のロサンゼルスオリンピックの馬術金メダリストの西中佐などがいたので、大和魂的精神主義に対する欧米的合理主義の勝利、という図式でくるか、逆に家族愛や自己犠牲という美しい悲劇系に持っていくのかなと危惧していたのですが、実際の作品は『父親たちの星条旗』同様、きちんと人間を描いたいい映画でした。

僕が子供の頃は、タミヤ模型の1/35ミリタリーシリーズのプラモデルとか、第二次世界大戦の主要な戦闘や将軍、特徴的な兵器などを特集した本(なんというシリーズだったか忘れましたが赤い背表紙のやつです)などを読んでいたので、硫黄島については準備万端のアメリカと正面から戦って善戦した唯一の戦闘として、子供心に印象に残っていました。

70年代までに作られた第二次世界大戦をテーマにした映画は、戦術面に重きを置いたものが多かったのですが、『プライベート・ライアン』以降は戦闘シーンの描写のリアリティが増したのと反比例して人間ドラマの比重が増してきたように思います(何しろ昔の映画は制作費と技術力両方の制約からかドイツ軍の兵器はジープとかは本物(か複製品)なんですけど戦車はアメリカの中古戦車にカギ十字をつけたのがお約束、というようなものでした。)。

そういう面から言えば、擂鉢山と北側の本隊の間の地下通路が間に合わなかった事情とか、兵站の乏しさとか戦闘の全体像がわかるような脚本でもいいと思ったのですが、2作とも硫黄島の戦闘自体はメインのテーマではないから仕方がないですね。


話を戻すと、本作は栗林中将と西中佐、それと対比するように中村獅童演じる典型的な帝国陸軍下士官を、二宮和也演じる二等兵(嵐のメンバーだったんですね(って嵐自体良く知らないけどw)。好演です。)を狂言回しにして描いています。

『父親たちの星条旗』もそうなのですが、描かれている人物に第三者の視点から感情移入する(その結果大仰な物語を作る)のでなく、登場人物が何を考え、どう生きたか、という視点を大事にして、地道に作った映画といえます。

技術が飛躍的に発展した中で技術に頼らず、また技術の与えるリアリティを生かしてこういう映画を作るところが、アメリカでも評価されたんだと思います。



<参考>
硫黄島の戦い(Wikipedia)
硫黄島探訪記
西中佐について(Wikipedia)
栗林中将について(Wikipedia)








コメント (4)
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