2週間ほど前にこちらでちょこっと触れた大森泰人『金融システムを考える』を読了。
非常に面白かったです。
著者は金融庁の現役官僚で金融ビッグバン(懐かしい・・・)関連法案の立案から金融危機当時に大蔵省証券局に、そして金融再生委員会を経て近畿財務局で関西の地域金融機関・民族系金融機関の経営危機と再編や商工ローンの日栄、大和都市管財事件に直面し、金融庁に戻って産業再生機構の創設に携わった後、(現在の金融商品取引法として結実した)投資サービス法構想の立案、そして貸金業法の改正とここ10年間の激動する金融行政の渦中も渦中、渦の中心を渡ってきた折々に業界紙などに寄稿した文書にふらながらこの10年の金融行政を振り返るという内容です。
著者は昔から歯に衣着せぬ筆致・発言で業界では有名な人だったようですが、その背後には、行政はその時々の経済や社会や業界の実態を把握し、その時点でベストと思われる施策をとるという試行錯誤の繰り返しであり、少なくともベスト判断した施策を実施する責任があるという骨太な信念が通っているように思います。
・・・現在でも、東京市場の地位向上を目指して、さまざまな場で似たような議論が行われていますが、問題意識は十年前から全く変わっていないというのがこの文章の今日的意味かと思います。そして、これさえやれば東京市場の地位は劇的に向上する!みたいな処方箋がいまなお、仮に存在するとすれば、俺の人生は一体なんだったんだよ、と私がうそぶく理由でもあります。
というところに、著者の行政官としての矜持が感じられます。
そこに著者の幅広い知識と皮肉っぽいユーモアのセンス(僕はけっこう好きです)が色を添えて、本書を読み応えあるものにしています。
話は横道にそれますが、その試行錯誤の中で監督対象の業界としても現状をきちんと行政に伝えることは必要なことでもあります。
ただ問題は、そこの情報伝達が業界(なり個社)の意向が反映するポジショントークになりがちなことです。特に業界が危機に瀕しているときには、きれいごとを言ってはいられないということになります。
その意味では業界側にも高い視座や見識が求められるわけです。
(本書がふれる一番最初の1997年に野村證券が総会屋への利益供与で業務停止処分になりましたが、ちょうど金融ビッグバン関連法案の仕上げの時期で、野村證券以外の会社のMOF担は証券業界全体の立場で語れる人がいなかったので大蔵省も困っていたと言うような噂話を聞いたことがありますが、企業側にも「業界を背負っている」という矜持のある人間が少ない(ほとんどいない?または勘違いしている奴は多い?)のも確かなので・・・)
公務員倫理法などができ、私的な接触自体も気をつけなければならないようなご時勢ですが、そうであれば人材交流をうながすような仕組みが必要だと思います。
天下り問題等でも公務員批判が根強いですが、本来の行政が効率よく公平になおかつ政治や業界から独立した視点を持って行われるために、そしてそのようなことが可能な人材を集めるために公務員制度はどうあるべきかという議論が不足しているように思います。
話を元に戻します。
個人的には金融危機の頃を扱った第7章「1997年初めから翌年春まで」が、自分も火事場の端っこの方で仕事をしていたこともあり、非常に懐かしく、また、2005年から2007年までを記した第3章から第6章までが、ライブドア事件から村上ファンド、貸金業の上限金利引き下げ問題などちょうどブログを書き始めた時期で、いろいろ自分なりに考えた(考えた程度は全然違うのですが)ところでもあり、興味深く読めました。
行政官が自分の仕事を説明するのは仕事の一環でもありますが、それを自分の意見・視点を持って生き生きと語ることができるには能力に加えて自信と度胸が必要なことだと思います。
その意味では貴重な本だと思います。