一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

昔話

2008-02-06 | あきなひ
昨日のエントリでとりあげた『金融システムを考える』とそこにいただいたtoshiさんのコメントに触発され、ちょいと昔話をさせていただきます。
もっとも守秘義務とか匿名性(まあこれは名乗るほどの者でないという理由のほうが大きいのですが)もあるので突っ込み不足についてはご容赦いただくとともに、記憶を頼りに書いていますので年代についても相前後があるかと。


この本は1997年、「金融ビッグバン」関連法案の頃から始まりますが、あらためて振り返ってみると、当時の私は、著者の大森さんがいた証券局ではなく、銀行局の、有体に言えば銀行の不良債権周りを仕事にしていました。

バブル崩壊以降、銀行の不良債権問題は深刻化していて、「金融ビッグバン」法案に先立つこと2年、1995年にゴールドマンサックスが東京三菱銀行の不良債権を買ったのが外資が邦銀の不良債権投資の最初でした。

証券局が間接金融から直接金融へ、個人金融資産の運用の選択肢を増やそうと考えていた頃、既に中心のはずだった間接金融(=銀行)の足元がぐらついていたわけです(個人的には当時の大蔵省銀行局にも大森氏のような人がいて、同じような本を出してくれたらと切に思います。)。


1997~1998年にかけては、金融機関はそれぞれ自分が生き残るのに精一杯で、他人のことなど構っていられない、という状態でした。
当時某銀行の経営企画部長はいつお会いしても病人のような土気色の顔色をしていて、10年後に頭取になった時のニュース映像の顔色がとてもよかったので、めでたく銀行の体力が回復したのか、それとも日本のサラリーマンは上にあがってしまうと楽なのかななどと失礼な感想を持ったものです。

ちょうどその頃、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)の大阪支店で預金者(正確には貸付信託の購入者?)が引き出しのために支店の周りに列を作り、それを報道しようとしたNHKに大蔵省(当時は金融監督庁?)から「取り付け騒ぎと誤解させる」という理由で放映の中止を強く申し入れられ報道を自粛したということがありました。
伝聞で聞いたのですが、HNKの記者は「これが取り付け騒ぎでなくて何だってんだ」と臍をかんだそうです。

安田信託銀行はその後、大手町の本社ビルを芙蓉グループ(って今もあるんでしょうか)安田生命と東京建物の売却しますが、その際も救済に走った富士銀行がグループに奉加帳を回したにもかかわらず自分は一銭も出さずに不評を買ったなどということもありました。
厳密に言えば銀行は直接不動産投資をできないので「親密不動産会社」などという5%ルールを回避した(というかお目こぼしをうけていた?)会社が買うわけですが、それらの会社も「飛ばし」の受け皿になって資産内容が痛んでいたという実情があったようです。

そんなこんなで一体全体どうなってしまうんだろう、というのが1997年頃の状況でした。


一方で「ハゲタカ」と言われた外資系投資銀行やファンドが不良債権投資を本格化させたのもこの頃でした。
このへん、外資系(特に当初は米系がほとんど)の「マクロで見ればいずれ日本経済は好転するので今は買い時」という構想力やそれを可能にするインセンティブの仕組み、また、失敗を恐れず試行錯誤をしていく姿勢はなかなか勉強になりました。
そもそも業績が悪化し資金調達も難しかった日本企業は事情に精通しているがためにリスクに過剰反応して更に消極的になってしまっていたように思います。
「バルクセールで買った目玉が○○温泉の有名旅館の債権だ」などと喜んでいるときに、その旅館は某広域暴力団の月例会の会場としても有名なんだよ、と教えてやると、瞬間は頭を抱えるものの、買ってしまったものは仕方ないとすぐ"plan-B"を模索する姿勢には学ぶべきものがあります。
一方で連中は皆「自分が勝ったdealは割安で、他人が勝ったdealは高値掴みだ」と自分の失敗を認めないというところがあり、厳しい競争の中で仕事をしているとこうなるんだ、と日本のぬるま湯の気楽さを実感することもよくありました。


これに対して邦銀のほうも、参入する外資が増えたので入札を行ったりして不良債権を少しでも高く売却しようとしましたが、いかんせん自己資本比率のBIS規制などの目の前の火の粉を払うのに手一杯で攻めに転じる余裕はなかなかないという状況でした。


ちなみに、この頃資産流動化法が制定されました。
別名「SPC法」とも言われ、資産の証券化を容易にするために資産の元の所有者の信用状況に影響を受けない(=これを「倒産隔離」などと言います。台湾から阪神に来たピッチャーの郭李の子供というわけではありません。)会社としての「特定目的会社」を制度化したものです。
(特定目的会社は「TMK」なんぞと省略して言われますがそれに関する阿呆なエントリを昔書いたことがあります。こちら参照)

この立法担当(筆頭課長補佐?)が片山さつき氏だったなどというのも懐かしく思い出されます。
そういえばその頃から同じ髪型だったような・・・


(長くなってしまったので今日はこの辺で)
コメント
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