昔話の続きです。
危険が徐々に迫っているのに気がつかず、気がついたら手遅れになってしまうことを「ゆで蛙」などといいますが、会社もそれが大きいほど危機になってもすぐには破綻せず、結構持ちこたえるものです。
1996年に東京の第二地銀である太平洋銀行が破綻しました。
ちょうどそのときの部下に太平洋銀行から5年位前に転職してきた女性がいて、
「やばいやばいと思って転職したんだけど、その後も結構持ちこたえるもんだなぁと見てましたけど、やっぱりだめでしたね」
と感慨深げに話していました。
これはやばい、と本格的に思ったのは、それまで支店のテラ-(窓口業務)をやっていた女性たちが軒並み預金集めに借り出されたときだそうです。
しかもやってみると今までの男性総合職行員よりも成績を上げてしまったw。
特に頑張ったわけではなく、いやいやながら「ピンポン」と呼び鈴を鳴らす飛び込み営業をやったのですが、何十人かにひとりは定期預金などを組んでくれる人がいたそうです。
それで逆に「今までこの人たち(総合職)は何やってたんだろう」と不安になったとか。
転職してから元の職場の友人に聞いても、相変わらずお気楽な課長はお気楽のままで危機意識もあまりなく(慢性化して?)、会社もつぶれずにいたのでこのまま景気がよくなったら回復するのかな~などと思っていたそうです。
しかし最後にはやはり蛙は茹で上がってしまったわけです。
ちなみに太平洋銀行は経営破たん後さくら銀行に救済され、「わかしお銀行」となったあと、さくら銀行と住友銀行の統合の際に「逆さ合併」をして両行を吸収し存続会社になっているというオチがあります。
似たような展開をたどったのが中堅生命保険会社でした。
当時経営危機が噂されていた中堅生命保険会社(千代田生命、東邦生命、日産生命、第百生命、日本団体生命)はなぜか渋谷近辺に本社があつまっていて「渋谷5社」と呼ばれていました。
正確には千代田生命と日産生命は目黒区にあった(千代田生命は中目黒で今の目黒区役所が本社、日産生命は目黒区青葉台にあったので「あおば生命」になったとか)のですが、大手町・丸の内や新宿にある大手生保に比べると「渋谷界隈にある中小」と十把ひとからげにされていたんでしょう。
(関西の人が横浜の方言である「~じゃん」を東京弁の代表のように思っているのと似たようなものですね。)
しかし「渋谷5社」はいつしか「渋谷4社」になり「渋谷3社」になり、結局すべて身売り(生命保険会社はつぶせないので契約移転というスキームを取りました)してしまうことになりました。
それぞれの行く末はつぎのとおりです。
千代田生命(AIGスター生命)
東邦生命(GEエジソン生命→AIGスター生命)
日産生命(あおば生命→プルデンシャル生命)
第百生命(マニュライフ生命)
日本団体生命(アクサ生命)
そんな状況だったので1997~1999年頃は銀行だけでなく生保なども生き残りをかけて資産売却を積極的に進めていました(結局生き残れなかったわけですが・・・)。
最近のサブプライム問題の余波で金融機関が財務体質を改善するために自己資本を増強し資産を圧縮するのと同じですね。
さてその頃には不良債権や担保物権の買い手側も競争が激しくなってきて、まとまった資産売却は競争入札になることがおおくなりました。
しかもいい物とそうでない物をまとめて引き取ってもらおうということでバルクセール(まとめ売り)になります。つまり「玉石混交」をまとめて値段をつけてね、というものです(実際は価値のないものの損失を確定して処分したいという売主側の以降がるので「玉石石石石石・・・」だったりしたのですが)。
売り手が全国展開していると全国に散らばった案件のバルクというのもあります。
限られた時間でどう効率的にこなすかというのは仕事としてはしんどくもあるのですが、乗り物や時刻表好きの私としては結構楽しみでもありました。
こんなことでもなければめったに乗らない路線とか行かない街というのに行けたのもいい思い出ではあります。
ネクタイなんか締めてっちゃだめだよなどと脅されつつディープなところに行ったり、何でこんな地方都市でビジネスホテルがいっぱいなのかと思ったら高校総体が開催されていたり、北陸地方で季節はずれの大雪に閉じ込められたり、とトラブルにも事欠かない一方で、伊丹空港から出雲空港に行くとき当時でも残り少なかったYS11に乗れたりとうれしいこともありました。
そういえば新幹線の移動中に受け取った書類を元に資料を作ろうと(これも今はなき)個室をとってシコシコ作業をしていたら、当時のラップトップパソコン(これも今や死語w)はすぐに電池がなくなってしまい、充電しようにも個室のくせにコンセントもなく、結局営業をしていないビュッフェのところのコンセントを借りたなんてこともありました。
「十年一昔」といいますが、改めて振り返ってみると既になくなってしまったものが数多くあり、隔世の感があります。
(昔話はもうちょっと続く、かもしれません)