一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

池をひろげる、という発想

2008-02-14 | 法律・裁判・弁護士

岡口弁護士のボツネタ経由
「日本弁護士連合会の新会長を決める選挙では、「安定した生活をしたい」という多くの弁護士の本音が噴出したようだ。」
(2008年2月13日 東京新聞社説)  

新会長選では、現在の司法改革路線、弁護士の大幅増員に反対する高山俊吉氏が43%も得票した。従来通りの改革推進を掲げ辛勝した宮崎誠氏も、選挙中に増員ペース見直しを明言せざるを得なかった。  

ということで、有力弁護士会の互譲で選ばれた本命候補の宮崎氏が「改革推進派」で対立候補の高山氏が「改革反対派」なんですね。
以前、弁護士会の選挙について「派閥」単位の「党議拘束」が厳しいことを「津軽選挙」などと揶揄したのですが、そういう従来型の密室での候補者選び(密室じゃないのかもしれませんが)に反旗をひるがえす側が「改革反対派」というのも妙な感じがします。
いずれにしても  

新会長選では、現在の司法改革路線、弁護士の大幅増員に反対する高山俊吉氏が43%も得票した。従来通りの改革推進を掲げ辛勝した宮崎誠氏も、選挙中に増員ペース見直しを明言せざるを得なかった。

と弁護士全体としては(急激な?)改革には批判的な人が多いようです。
さらにこの社説では  

司法書士などの試験と同じく司法試験も法曹資格を得る試験にすぎず“生活保障試験”なぞではない。  

「生存競争が激化し、人権擁護に目が届かなくなる」-こんな声も聞こえるが、余裕があるからするのでは人権活動と呼ぶには値しない。

と手厳しいです。
また、2月9日の日経新聞の社説も  

弁護士不足の危機を感じるこれらの業務は、手間がかかる割に報酬が低いところが共通する。「仕事にあぶれる」は有り体に言えば「もうかる仕事にあぶれる」なのか。  

「大幅増員すれば弁護士間の生存競争がひどくなり、人権の擁護・社会正義の実現を目指す仕事には手が回らなくなる」。増員反対派の、こんな言い分にうなずき、法曹は増やさないほうがよいと判断する国民はどれほどいるだろう。

と批判的です。


確かに制度上は、同じ職業独占が制度化されている医師は厚生労働省から資格停止等の処分を受けるのに対し、弁護士は自治に任されていて、資格の停止や剥奪をするには弁護士会での懲戒処分しかないので弁護士会次第で「司法試験に合格すれば自動的に一定レベルの生活を保障する」(=司法試験を生活保障試験にする)という運用は理論的には可能です。

国民の事由と権利を擁護するという役割故に職業独占が認められ、しかもこのご時勢監督官庁とか外部監査人・社外役員などの第三者からのチェック機能が働かない数少ない団体だけに(他には国会議員くらいでしょうか)、弁護士会にはより厳しい自律性が期待されているし、世間の目も厳しくなるのは仕方ないと思います。

もっとも、「一定の保護を内部の論理と国民感覚のズレ」という意味では、新聞の戸別配達を維持するための再販価格制度の位置づけも似たようなものではないかと(お互いに一緒にされては不愉快かもしれませんが・・・)。


前置きが長くなりましたがこれからが本題です。


「弁護士が増えると競争が激化して収入が減る」という議論で気になるのは弁護士業のパイが増えないことを前提にしていることです(弁護士が増えるとアメリカのように乱訴の弊害が出るという議論は、人数が少なくてもそういうことをする人は出かねないわけなのでとりあえず置いておきます)。

一般的には今後弁護士の果たす役割が増えると期待されているわけで(そのために増員が図られたはずです)、日弁連としても「池の魚の数を増やすな」と言う前に池を大きくするという方向での議論はしないのでしょうか?  

今までと同じサービスをより大きな人数で提供しているだけでは一人当たりの収入は減るのは当然ですし、新しい市場を開拓するにはリスクが伴うのもこれまた当然です。 
鶏と卵の順番にこだわって市場を広げるチャンス(法律サービスの需要増)にサービスを提供しないでいると、逆に他業者の市場参入を招いてしまうと思います。
たとえば債務整理業務についての司法書士の参入がいい例です。 
また、この前被害者国選弁護というエントリを書きましたが、ドイツでは犯罪被害者支援については民間支援団体が30年以上の歴史を持っているそうですので、あまり内向きな議論ばかりをしていると、先の司法書士だけでなくNPOによる活動などにも陣地を取られてしまうのではないでしょうか。


新会長は多少の見直しを示唆したものの「改革推進派」とのことなので、頑張っていただきたいと思います。

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『ぜんぶ、フィデルのせい』

2008-02-13 | キネマ
ここでいう「フィデル」とはキューバ革命の指導者フィデル・カストロのことで、映画はちょうどその頃1970年代のパリを舞台にしています。


主人公のアンナはボルドーでシャトーを持つおじいちゃんと、弁護士の父親、「マリ・クレール」の記者の母親を持ち、立派な家に住んでいます。
ところがスペインのフランコ政権の弾圧から逃れた親戚母子が家にかくまうことになったのをきっかけに父親はチリのアジェンデ政権と民主化運動支持に、母親は妊娠中絶合法化運動に力を入れだし、一家の生活は一変します。
狭い家に引越し、いつも家にはヒゲをはやした活動家があつまり、仲の良かったお手伝いさんはクビになってつぎつぎと変わり、という中でのアンナの困惑と不満が頂点に達し・・・


主人公のアンナはそれぞれの大人の言うことを聞きながらも、そして何でこうならなければいけないのか、逆にこうしろと言われて従ったつもりなのになんで怒られるのかに日々納得がいきません。
アンナ役を演じる子役の眉をしかめて真剣に考えている表情が最高で、それを子供の視線に立ったカメラワーク(デモ行進のシーンは象徴的です)が印象深くしています。


子供はひとつの価値観に縛られずに逆にすべての事象に対して純粋(ある意味原理主義的)に反応します。それが現実とぶつかりあって妥協を知ることで「大人になる」のですが、この映画は「正しいことは何か」から入る一方でそれを自己の正当化の論理立てとして使いがちな大人と子供の視点を対比することで、大人のあり方を描き出している映画でもあります。

大人たちの主張する「正しいこと」と行動とのギャップを意図せず指摘するアンナや進歩的でありながら子供には思わず権威主義的に当たってしまう両親のセリフなどはとても楽しめます。

また、自分の立てたテーゼに縛られない子供ならではの適応力の強さも見どころです。
仲の良かったキューバ人のお手伝いさん(彼女が「ぜんぶ、フィデルのせい」と言った人)から、両親の「政治的難民を助けるという人道的見地」からお手伝いさんがギリシャ人、ベトナム人ところころ代わっても、アンナはそれぞれのお手伝いさんからそれぞれの国の天地創造や神様の話を共通項に仲良くなっていきます。
(このあたりは監督のカトリック系教育へのアンチテーゼという意味もあるのかもしれませんが。)


主人公の演技、シナリオ、カメラワークとそろっお勧めの映画です。


※公式サイトはこちら










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海苔の不作

2008-02-11 | よしなしごと
ノリ色落ち深刻・養殖断念の業者も
(2008年2月8日 西日本放送)
※ニュース動画です。

海苔と醤油だけは贅沢をしている身としては海苔の不作は心配です。


不作の原因は夏の少雨で、山から栄養分のある水が川を経由して海にまで十分届いていないことによるのだそうです。

そういえば宮城県で牡蠣の品質が落ちた改善策として山に植林をすることから始めたという話を聞いたことがあります(多分この話)。

人間が自然の循環の中で生きていることを実感させる話ですが、だからすべて地球温暖化のせいだというのも別の意味で思考停止のような感じがするので、何かいい対策がないものでしょうか(やはり植林をするなどで保水力を上げればある程度の少雨にも対応できるのでしょうか)。


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昔話その3

2008-02-11 | よしなしごと
昔話をするとどうも脱線してしまうのでとりあえず今回が最後。


この前は金融機関が不良債権を売りに出していた頃の話でした。

さて、銀行は生き残りのためにバランスシートの健全化を目指し、不良債権を売るだけでなくいわゆる「貸し渋り」「貸しはがし」が行われ、信用収縮が問題になってきました。
これではいかんと金融庁から銀行に対し中小企業向け融資の義務付け(ノルマ)が課されました。
そうはいっても不良債権化してしまっては元も子もありません。

そこに同時に出てきたのが不動産の証券化スキームなどへのノンリコースローンです。
これは簡単に言えば本来の借り手である投資家の信用力でなく担保資産の価値に対しての融資で、そのために実際の投資家が別の事業で倒産しようと自分の融資は安全なように融資ごとにSPC(特別目的会社)をつくり、それに融資をするという仕組みです。
当初は邦銀はあまり積極的でなかったのですが、徐々に新規の収益源の開発として進出しだしていました。さらにそれを後押ししたのが上の中小企業への貸出し目標でした。
妙な話なのですが、SPCは資本金300万円の有限会社(当時)なのでこれへの融資は形式的には「中小企業向け融資」になります。したがってノンリコースローンを増やすことはノルマの消化にもつながるとして、いささか不健全な動機ながら広まった感がありました。

また現物不動産の売買より登録免許税が格段に安い(さらに細かい話では不動産特定共同事業法という使い勝手のいまひとつよくない法律の適用を受けない)という理由で信託受益権での取引が盛んになり、信託銀行も生き残りの方策として事実上独占だった信託という「器」を貸す手数料商売を始めました。
当時は「ウチは器なので何もしません」と手数料商売と割り切って(特に某信託銀行は「何でもあり」で有名でした)一時はディスカウント合戦になりました。
(後に信託業法が改正されると、急に軒並み自己執行義務などと言い出したあたりは変わり身の早さに感心したものです・・・)


そんなこんなで当初は外資系の独壇場だった不良債権周りのビジネスも邦銀や日本企業のプレーヤーが増えてきだしたのが2000年頃でした。

この時代、ある意味日本企業のなりふり構わないバイタリティが発揮された時代であったとも言えると思います。

最近、企業の社会的責任が云々されるようになったということは、それだけ景気が回復して巡航速度に乗ったということでしょう。

しかし個人的には「あれをしてはいけない」「これを守りなさい」と箸の上げ下ろしまでいろいろ言われる昨今よりは、あの頃の方が(むちゃくちゃ忙しかったけど)仕事に工夫とか創造性を発揮する余地が多くて面白かったですね。
当時もコンプライアンスを無視していたわけではなくて、当時のように国内外から氏素性のはっきりしないプレイヤーが登場する中でバブル期の残滓を扱うわけですから「真っ当な仕事」「筋の良い仕事」であることはとても大事だったわけです。
(その意味では、最近の企業不祥事は「好景気ボケ」とか気の緩みが原因なのかもしれませんね。)


とりとめがなくなってしまいましたが、今回の昔話はこの辺でおわりにします。


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I want to ride my bicycle.

2008-02-10 | うろうろ歩き
年寄りの世迷言のとばっちりで(あ、この辺のグチは気にしないでくださいw)渋谷に行く用事ができてしまいました。

多少でも有意義なものにしようと運動をかねて自転車で行くことに。

いつも車で行く裏道とほぼ同じコースを辿ったら、車で行くのと同じくらいの時間でついてしまいました。
電車との比較でも駅での待ち時間次第ですがほぼ互角といっていいでしょう。

裏道だと交差点が小さいので、自転車の場合は目視で横からの車が来ないことを確認してそのまま行けてしまうというあたりが一番の理由です(ホントは交通違反なんですが・・・)。

今回始めて知ったのですが、渋谷駅周辺はそれに放置自転車対策として駐輪スペースがもうけられていました。
こんな感じ



2時間以内は無料で、駐輪機も前輪をガチっとロックするタイプなので安心してとめられます(無料時間内なら暗証番号で開錠できます)。
車だと駐車場探しだけでもけっこう骨なのとは大きな違いです。

用自体はすぐに済んだので周りを見渡すと献血ルームがありました。
「有意義モード」の僕は早速献血することに。
街頭で呼びかけている感じからするとガラガラかと思いきや、ロッカーには空きがないくらいの盛況で、30分くらい待たされました。
自転車で来た、と話をしたら、献血終わった後20分以上休憩して水分を十分に補給してから気をつけて帰ってくださいね、と言われました。
最近の献血ルームは飲み物コーナーやお菓子も充実していて、ハーゲンダッツのアイスクリーム(「ひとり1個」と書いてあったのでやはり人気らしい)とかドーナツ(日曜はないとか)などもいただけます。
それから献血手帳がカードになり、海外渡航データなども記憶されるので次回以降は問診のときにいつどこに言って何泊したなどと根掘り葉掘り聞かれなくて済むそうです(でも年に1回も使わないから暗証番号を忘れてしまいそうです)。

久しぶりにハーゲンダッツのアイスなどをいただき帰途に。


渋「谷」というだけあって駅は谷底にあります。そこから一度登って(代官「山」というくらい)また山手通りが谷で(「池尻」ですから)さらにまた登る(東「山」)というあたりを迂回して回避しようと帰りは若干遠回りして246号線を通ることに。
しかしびゅんびゅん通る自動車を避けて歩道を走っていると、大きな交差点では歩道橋にぶつかってしまいました。しかも「危険、横断禁止!」などとガードレールに大書されています。

どうすりゃええんじゃい・・・

幹線道路は自転車に優しくない、ということが身にしみてわかりました。


それから走っていて思ったことは、現在モデル地区で試行されている自転車専用レーン(参照)は路上駐車対策にも有効だ、ということ。
逆に言えば車道を走っていて路上駐車がいかに迷惑かも実感しました。


家にたどり着く頃にはちょうどいい汗をかいた、という感じでなかなか充実感がありました。


献血当日も(2時間以上あければ)飲酒はOKだそうで、お酒も美味しくいただけました。
400mlほど血液が減った中にアルコールがはいったからか、単に気のせいなのかわかりませんが、いつもよりちょっと酔いの周りが早かったかもしれません。

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野中広務、野村克也『憎まれ役』

2008-02-09 | 乱読日記
昨日ちょっと触れた本。
この二人を組み合わせた時点で企画としては勝った、という感じです。

タイトルの「憎まれ役」以外にも二人とも叩き上げで頂点を極めた人であり、しかも京都府(といっても共に日本海側の貧しい村)出身、B型で下戸・甘党という共通点まであります。

対談本と思いきや往復書簡形式になっています。
そして往復書簡形式もあくまでも形式で、ひとつのテーマについて語りながら話が発展していくというのではなく、編集者が間に入ってテーマを設定しながらインタビューしたものをまとめたような文章になっています。

そうはいっても修羅場を潜り抜けて頂点を極めた両者ですので、内容的には濃いものになっています。
軸になっているのは、巨人と自民党の黄金期とその変質です。
特に、野中広務はその集大成としての小泉政治への批判をかなりストレートに出しています。


二人の「化学反応」は期待できないまでも、二人の考えの一端が一冊の本で読めると考えればお買い得な本だと思います。




PS
野中広務については魚住昭『野中広務 差別と権力』が多面的な人物像を浮き彫りにしておすすめです(文庫になってます)。











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落下傘候補きたる

2008-02-08 | まつりごと

佐藤ゆかり氏、東京5区に「国替え」へ…次期衆院選
(2008年2月6日(水)21:45 読売新聞)

って、ウチの選挙区じゃねーか(笑)

ナベツネの迷言「読売グループ内の人事異動」ならぬ自民党内の人事異動ですね。こうなると比例区と小選挙区って集計のメカニズムの違いだけ、ということになってしまいそうです。

ちょうど読み終わった野中広務、野村克也『憎まれ役』で造反組の再入党に小泉チルドレンが反対したことに言及して野中広務はこう言っています。

 国会議員であれば信念で戦うべきです。議員はサラリーマンのように永久就職ではないのです。信念を証明するためには、選挙に勝つ。そのためには地元に組織をつくり、支持者を増やすしかありません。その努力を放棄して、あるいはその努力を無視しているからこそ、再入党に反対する会合などを持つのです。

現職の小杉隆氏が引退した後継候補となるわけですが、地元の都議会議員・区議会議員に候補者がいないという方が自民党組織にとっては問題なのではないかなと思います。
逆に都議や区議のほうが楽で美味しいから誰もリスクを取らないのかもしれません(ホント、人数多すぎです。)。

野中氏は返す刀で

野党の民主党でも、変わりません。彼らのほとんどは、自民党の国会議員になりたいが、自民党の公認がとれないので、仕方なく小選挙区で民主党から立候補している人々です。

とも言っています。

「自民党の国会議員になりたい」かどうかはわかりませんが、確かに2000年の民主党ブームの頃に雨後のたけのこのように当選した民主党の新人は「国会議員になるチャンスが高いから」という理由で民主党から出馬した、要領がよくて小器用なタイプの人が多かったように思います。

東京5区で2000年に初当選した手塚仁雄氏もそんな若い奴のひとり、という印象だったのですが、地道に街頭演説を続けたりしているので地元では結構知名度があり、対抗馬としては手ごわいのではないかと思います。


<追記>
数年前にドクター中松が近くに引っ越してきたようなので、これだけ注目されると彼も出馬するのではないかと。

 

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昔話その2

2008-02-07 | あきなひ

昔話の続きです。

危険が徐々に迫っているのに気がつかず、気がついたら手遅れになってしまうことを「ゆで蛙」などといいますが、会社もそれが大きいほど危機になってもすぐには破綻せず、結構持ちこたえるものです。

1996年に東京の第二地銀である太平洋銀行が破綻しました。
ちょうどそのときの部下に太平洋銀行から5年位前に転職してきた女性がいて、

「やばいやばいと思って転職したんだけど、その後も結構持ちこたえるもんだなぁと見てましたけど、やっぱりだめでしたね」

と感慨深げに話していました。

これはやばい、と本格的に思ったのは、それまで支店のテラ-(窓口業務)をやっていた女性たちが軒並み預金集めに借り出されたときだそうです。
しかもやってみると今までの男性総合職行員よりも成績を上げてしまったw。
特に頑張ったわけではなく、いやいやながら「ピンポン」と呼び鈴を鳴らす飛び込み営業をやったのですが、何十人かにひとりは定期預金などを組んでくれる人がいたそうです。
それで逆に「今までこの人たち(総合職)は何やってたんだろう」と不安になったとか。
転職してから元の職場の友人に聞いても、相変わらずお気楽な課長はお気楽のままで危機意識もあまりなく(慢性化して?)、会社もつぶれずにいたのでこのまま景気がよくなったら回復するのかな~などと思っていたそうです。

しかし最後にはやはり蛙は茹で上がってしまったわけです。

ちなみに太平洋銀行は経営破たん後さくら銀行に救済され、「わかしお銀行」となったあと、さくら銀行と住友銀行の統合の際に「逆さ合併」をして両行を吸収し存続会社になっているというオチがあります。


似たような展開をたどったのが中堅生命保険会社でした。

当時経営危機が噂されていた中堅生命保険会社(千代田生命、東邦生命、日産生命、第百生命、日本団体生命)はなぜか渋谷近辺に本社があつまっていて「渋谷5社」と呼ばれていました。
正確には千代田生命と日産生命は目黒区にあった(千代田生命は中目黒で今の目黒区役所が本社、日産生命は目黒区青葉台にあったので「あおば生命」になったとか)のですが、大手町・丸の内や新宿にある大手生保に比べると「渋谷界隈にある中小」と十把ひとからげにされていたんでしょう。
(関西の人が横浜の方言である「~じゃん」を東京弁の代表のように思っているのと似たようなものですね。)

しかし「渋谷5社」はいつしか「渋谷4社」になり「渋谷3社」になり、結局すべて身売り(生命保険会社はつぶせないので契約移転というスキームを取りました)してしまうことになりました。

それぞれの行く末はつぎのとおりです。

千代田生命(AIGスター生命)
東邦生命(GEエジソン生命→AIGスター生命)
日産生命(あおば生命→プルデンシャル生命)
第百生命(マニュライフ生命)
日本団体生命(アクサ生命)

そんな状況だったので1997~1999年頃は銀行だけでなく生保なども生き残りをかけて資産売却を積極的に進めていました(結局生き残れなかったわけですが・・・)。
最近のサブプライム問題の余波で金融機関が財務体質を改善するために自己資本を増強し資産を圧縮するのと同じですね。

さてその頃には不良債権や担保物権の買い手側も競争が激しくなってきて、まとまった資産売却は競争入札になることがおおくなりました。
しかもいい物とそうでない物をまとめて引き取ってもらおうということでバルクセール(まとめ売り)になります。つまり「玉石混交」をまとめて値段をつけてね、というものです(実際は価値のないものの損失を確定して処分したいという売主側の以降がるので「玉石石石石石・・・」だったりしたのですが)。

売り手が全国展開していると全国に散らばった案件のバルクというのもあります。
限られた時間でどう効率的にこなすかというのは仕事としてはしんどくもあるのですが、乗り物や時刻表好きの私としては結構楽しみでもありました。
こんなことでもなければめったに乗らない路線とか行かない街というのに行けたのもいい思い出ではあります。
ネクタイなんか締めてっちゃだめだよなどと脅されつつディープなところに行ったり、何でこんな地方都市でビジネスホテルがいっぱいなのかと思ったら高校総体が開催されていたり、北陸地方で季節はずれの大雪に閉じ込められたり、とトラブルにも事欠かない一方で、伊丹空港から出雲空港に行くとき当時でも残り少なかったYS11に乗れたりとうれしいこともありました。
そういえば新幹線の移動中に受け取った書類を元に資料を作ろうと(これも今はなき)個室をとってシコシコ作業をしていたら、当時のラップトップパソコン(これも今や死語w)はすぐに電池がなくなってしまい、充電しようにも個室のくせにコンセントもなく、結局営業をしていないビュッフェのところのコンセントを借りたなんてこともありました。

「十年一昔」といいますが、改めて振り返ってみると既になくなってしまったものが数多くあり、隔世の感があります。

(昔話はもうちょっと続く、かもしれません)

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昔話

2008-02-06 | あきなひ
昨日のエントリでとりあげた『金融システムを考える』とそこにいただいたtoshiさんのコメントに触発され、ちょいと昔話をさせていただきます。
もっとも守秘義務とか匿名性(まあこれは名乗るほどの者でないという理由のほうが大きいのですが)もあるので突っ込み不足についてはご容赦いただくとともに、記憶を頼りに書いていますので年代についても相前後があるかと。


この本は1997年、「金融ビッグバン」関連法案の頃から始まりますが、あらためて振り返ってみると、当時の私は、著者の大森さんがいた証券局ではなく、銀行局の、有体に言えば銀行の不良債権周りを仕事にしていました。

バブル崩壊以降、銀行の不良債権問題は深刻化していて、「金融ビッグバン」法案に先立つこと2年、1995年にゴールドマンサックスが東京三菱銀行の不良債権を買ったのが外資が邦銀の不良債権投資の最初でした。

証券局が間接金融から直接金融へ、個人金融資産の運用の選択肢を増やそうと考えていた頃、既に中心のはずだった間接金融(=銀行)の足元がぐらついていたわけです(個人的には当時の大蔵省銀行局にも大森氏のような人がいて、同じような本を出してくれたらと切に思います。)。


1997~1998年にかけては、金融機関はそれぞれ自分が生き残るのに精一杯で、他人のことなど構っていられない、という状態でした。
当時某銀行の経営企画部長はいつお会いしても病人のような土気色の顔色をしていて、10年後に頭取になった時のニュース映像の顔色がとてもよかったので、めでたく銀行の体力が回復したのか、それとも日本のサラリーマンは上にあがってしまうと楽なのかななどと失礼な感想を持ったものです。

ちょうどその頃、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)の大阪支店で預金者(正確には貸付信託の購入者?)が引き出しのために支店の周りに列を作り、それを報道しようとしたNHKに大蔵省(当時は金融監督庁?)から「取り付け騒ぎと誤解させる」という理由で放映の中止を強く申し入れられ報道を自粛したということがありました。
伝聞で聞いたのですが、HNKの記者は「これが取り付け騒ぎでなくて何だってんだ」と臍をかんだそうです。

安田信託銀行はその後、大手町の本社ビルを芙蓉グループ(って今もあるんでしょうか)安田生命と東京建物の売却しますが、その際も救済に走った富士銀行がグループに奉加帳を回したにもかかわらず自分は一銭も出さずに不評を買ったなどということもありました。
厳密に言えば銀行は直接不動産投資をできないので「親密不動産会社」などという5%ルールを回避した(というかお目こぼしをうけていた?)会社が買うわけですが、それらの会社も「飛ばし」の受け皿になって資産内容が痛んでいたという実情があったようです。

そんなこんなで一体全体どうなってしまうんだろう、というのが1997年頃の状況でした。


一方で「ハゲタカ」と言われた外資系投資銀行やファンドが不良債権投資を本格化させたのもこの頃でした。
このへん、外資系(特に当初は米系がほとんど)の「マクロで見ればいずれ日本経済は好転するので今は買い時」という構想力やそれを可能にするインセンティブの仕組み、また、失敗を恐れず試行錯誤をしていく姿勢はなかなか勉強になりました。
そもそも業績が悪化し資金調達も難しかった日本企業は事情に精通しているがためにリスクに過剰反応して更に消極的になってしまっていたように思います。
「バルクセールで買った目玉が○○温泉の有名旅館の債権だ」などと喜んでいるときに、その旅館は某広域暴力団の月例会の会場としても有名なんだよ、と教えてやると、瞬間は頭を抱えるものの、買ってしまったものは仕方ないとすぐ"plan-B"を模索する姿勢には学ぶべきものがあります。
一方で連中は皆「自分が勝ったdealは割安で、他人が勝ったdealは高値掴みだ」と自分の失敗を認めないというところがあり、厳しい競争の中で仕事をしているとこうなるんだ、と日本のぬるま湯の気楽さを実感することもよくありました。


これに対して邦銀のほうも、参入する外資が増えたので入札を行ったりして不良債権を少しでも高く売却しようとしましたが、いかんせん自己資本比率のBIS規制などの目の前の火の粉を払うのに手一杯で攻めに転じる余裕はなかなかないという状況でした。


ちなみに、この頃資産流動化法が制定されました。
別名「SPC法」とも言われ、資産の証券化を容易にするために資産の元の所有者の信用状況に影響を受けない(=これを「倒産隔離」などと言います。台湾から阪神に来たピッチャーの郭李の子供というわけではありません。)会社としての「特定目的会社」を制度化したものです。
(特定目的会社は「TMK」なんぞと省略して言われますがそれに関する阿呆なエントリを昔書いたことがあります。こちら参照)

この立法担当(筆頭課長補佐?)が片山さつき氏だったなどというのも懐かしく思い出されます。
そういえばその頃から同じ髪型だったような・・・


(長くなってしまったので今日はこの辺で)
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『金融システムを考える』

2008-02-05 | 乱読日記

2週間ほど前にこちらでちょこっと触れた大森泰人『金融システムを考える』を読了。
非常に面白かったです。

著者は金融庁の現役官僚で金融ビッグバン(懐かしい・・・)関連法案の立案から金融危機当時に大蔵省証券局に、そして金融再生委員会を経て近畿財務局で関西の地域金融機関・民族系金融機関の経営危機と再編や商工ローンの日栄、大和都市管財事件に直面し、金融庁に戻って産業再生機構の創設に携わった後、(現在の金融商品取引法として結実した)投資サービス法構想の立案、そして貸金業法の改正とここ10年間の激動する金融行政の渦中も渦中、渦の中心を渡ってきた折々に業界紙などに寄稿した文書にふらながらこの10年の金融行政を振り返るという内容です。

著者は昔から歯に衣着せぬ筆致・発言で業界では有名な人だったようですが、その背後には、行政はその時々の経済や社会や業界の実態を把握し、その時点でベストと思われる施策をとるという試行錯誤の繰り返しであり、少なくともベスト判断した施策を実施する責任があるという骨太な信念が通っているように思います。

・・・現在でも、東京市場の地位向上を目指して、さまざまな場で似たような議論が行われていますが、問題意識は十年前から全く変わっていないというのがこの文章の今日的意味かと思います。そして、これさえやれば東京市場の地位は劇的に向上する!みたいな処方箋がいまなお、仮に存在するとすれば、俺の人生は一体なんだったんだよ、と私がうそぶく理由でもあります。

というところに、著者の行政官としての矜持が感じられます。

そこに著者の幅広い知識と皮肉っぽいユーモアのセンス(僕はけっこう好きです)が色を添えて、本書を読み応えあるものにしています。


話は横道にそれますが、その試行錯誤の中で監督対象の業界としても現状をきちんと行政に伝えることは必要なことでもあります。
ただ問題は、そこの情報伝達が業界(なり個社)の意向が反映するポジショントークになりがちなことです。特に業界が危機に瀕しているときには、きれいごとを言ってはいられないということになります。
その意味では業界側にも高い視座や見識が求められるわけです。
(本書がふれる一番最初の1997年に野村證券が総会屋への利益供与で業務停止処分になりましたが、ちょうど金融ビッグバン関連法案の仕上げの時期で、野村證券以外の会社のMOF担は証券業界全体の立場で語れる人がいなかったので大蔵省も困っていたと言うような噂話を聞いたことがありますが、企業側にも「業界を背負っている」という矜持のある人間が少ない(ほとんどいない?または勘違いしている奴は多い?)のも確かなので・・・)

公務員倫理法などができ、私的な接触自体も気をつけなければならないようなご時勢ですが、そうであれば人材交流をうながすような仕組みが必要だと思います。
天下り問題等でも公務員批判が根強いですが、本来の行政が効率よく公平になおかつ政治や業界から独立した視点を持って行われるために、そしてそのようなことが可能な人材を集めるために公務員制度はどうあるべきかという議論が不足しているように思います。


話を元に戻します。


個人的には金融危機の頃を扱った第7章「1997年初めから翌年春まで」が、自分も火事場の端っこの方で仕事をしていたこともあり、非常に懐かしく、また、2005年から2007年までを記した第3章から第6章までが、ライブドア事件から村上ファンド、貸金業の上限金利引き下げ問題などちょうどブログを書き始めた時期で、いろいろ自分なりに考えた(考えた程度は全然違うのですが)ところでもあり、興味深く読めました。


行政官が自分の仕事を説明するのは仕事の一環でもありますが、それを自分の意見・視点を持って生き生きと語ることができるには能力に加えて自信と度胸が必要なことだと思います。
その意味では貴重な本だと思います。


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つまんない

2008-02-04 | おイヌさま


ウチのお嬢様は足がぬれるのがお嫌いのようで、雪が降っても「喜び庭駆け回り」とはいかずにすぐに家の中に戻ってきてしまいます。

そして上のように「つまんない」ってな表情で見上げます。



でも珍しく雪が降ったというのにこれじゃぁ、こっちのほうがつまんないよ。

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予言の自己成就とCSR

2008-02-03 | あきなひ
東京でも久しぶりに本格的な雪




逆に人出も少なかろうと用足しにいって正解でした。


帰りがけにスーパーに寄ったら、「冷凍食品半額セール」というのをやっていました。
天洋食品のものは回収されたのでしょうが、他の中国産冷凍食品にも買い控えが広がったのでしょう。


でも、売る側が心配で半値でも早く売ってしまえ、と考えている品物を買う人ってあまり多くないと思うのですが。
逆張り戦略としてはここで底値買い、というのもあるのでしょうがリスクにさらしているのが自分の健康となると単なる相場観で動くのもどうかと思う人が多いようで、売り場は閑散としていました。


たとえばこの後、中国製の冷凍食品が検査体制が不十分で安全が保証できないということで厚生労働省から輸入禁止にされた場合、このように駆け込みで売ったスーパーは非難されたりする可能性はないのでしょうか。
また、たとえば「輸入禁止になる可能性のあることを言わずに安値で販売した」と消費者契約法の「不利益事実の不告知」に当たるとして買い戻せ、と言ってきた人がいたらどうするとか。

スーパー側は販売の時点では予見ができなかった、と反論するしかないのですが、<消費者の買い控え→スーパーの投げ売り→輸入量の急減→誰も買う人がいないのだからとりあえず輸入停止にするか>というようないわば「予言の自己成就」がされてしまった場合に「安売りした時点でヤバいと思っていたんだろう」と事後的な結果から非難されるということが昨今のマスコミ論調を考えるとあり得そうな気もします。

たとえば同じスーパーで節分用の豆を「中国産ではありません」と表示して売っているわけで、かたや中国製食品の危険性を認識しつつ中国製冷凍食品を安値で在庫処分しようとしていると言われかねません。


このような事故が起こった場合「天洋食品が危ない」のか「中国製冷凍食品が危ない」のか「中国製食品が危ない」のどこまでを想定すべき範囲に入れてCSRも考慮した対応をするのかは難しい問題です。

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JT株のインサイダー取引疑惑

2008-02-02 | よしなしごと

毒入り餃子(常用漢字でないからか報道は「ギョーザ」と表記してあるのがちょっと軽く感じてしまいます)のニュースを聞いて、冷蔵庫にあった冷凍枝豆を確認したところ、中国産で輸入元は味の素とありました。
今回の農薬は加熱すれば毒性が薄まるらしいし(熱湯で解凍すればいい?)枝豆は皮ごと食べるわけではないのでまあいいかとも思うのですが、約300円をケチってリスクをとるのもどうかなと小市民的な悩みを週末に持ち越しています。

冷凍庫には宇都宮餃子もあったので、寒くなりそうな今晩にでも食べようかと思ってます。

そんな中で

JT株、ギョーザ事件公表2日前に急落…証取委が調査
(2008年2月2日(土)03:01 読売新聞)

JTによると、問題の冷凍ギョーザの販売元・日本生活協同組合連合会(生協)側から「12月28日に『CO・OP手作り 餃子 ( ギョーザ ) 』を食べた千葉市の親子2人が体調不良を訴え、治療を受けた」との連絡が入ったのは1月4日。3日後の7日には品川区から、兵庫県高砂市で「中華deごちそう ひとくち餃子」を食べた一家3人が入院したことを伝えられたという。  

JTでは、28日までの社内状況について、「殺虫剤が原因という認識はなく、中毒があったことを知っていたのも担当部署の数十人程度だったはず」と説明している。しかし、年明けに1件目の中毒発生を把握した後、細菌検査の結果を生協に報告したり、兵庫県に調査状況を問い合わせたりするなどしており、この過程で、取引先なども含めて情報が広がった可能性がある。

チャートを見ると第一報の入った1/4の下げの方も気になります。
JTの社員だけでなく生協の関係者なども可能性があるわけなので、白黒はゆっくり調査してもらうとしましょう。

欲をかく人は(私も含め)ゴマンといるのが市場ですから、この手のルール違反は証券取引等監視委員会の調査が入ってお縄になる、ということを広く知らしめることが大事ですね(もう決め付けてる筋もあるようですがw)。


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国立大学法人

2008-02-01 | よしなしごと



懐かしいチョーク(日本白墨工業の「天神白墨」です)と黒板消しクリーナーとスチームヒーター、という懐かしい組み合わせです。
昨日大学の先生をやっている友人と飲みに行く前に研究室を訪問してとった写真。


メインの話は後日としてちょっと驚いた話。

国立大学は独立行政法人化されて教員は国家公務員ではなくなったんだけど、事務職員の幹部クラス(課長職以上)は依然として文部科学省の職員で、2,3年ごとに人事異動で他の国立大学法人に移ってしまうとか。


そのため本来独立採算で少子化のなかで(国内のみならずアジアなどから優秀な留学生を迎え入れるためには国際的にも)競争力をつけていかなければならない国立大学法人なのですが

① 教授たちは自分の研究がどうしても主になるし、そもそも学校経営の経験やセンスがあるわけではない
② 事務方の幹部職員に改革のアイデアを期待してもそもそも学校に対する帰属意識が低い
③ 一般事務職員は各大学に雇用されているが、管理職ポストは文部科学省からの出向(?)ポストなのでモチベーションが上がらない

という構造にあるとか。


これ、日本の将来を考えると、相当まずいと思うのですが・・・

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