岡口弁護士のボツネタ経由
「日本弁護士連合会の新会長を決める選挙では、「安定した生活をしたい」という多くの弁護士の本音が噴出したようだ。」
(2008年2月13日 東京新聞社説)
新会長選では、現在の司法改革路線、弁護士の大幅増員に反対する高山俊吉氏が43%も得票した。従来通りの改革推進を掲げ辛勝した宮崎誠氏も、選挙中に増員ペース見直しを明言せざるを得なかった。
ということで、有力弁護士会の互譲で選ばれた本命候補の宮崎氏が「改革推進派」で対立候補の高山氏が「改革反対派」なんですね。
以前、弁護士会の選挙について「派閥」単位の「党議拘束」が厳しいことを「津軽選挙」などと揶揄したのですが、そういう従来型の密室での候補者選び(密室じゃないのかもしれませんが)に反旗をひるがえす側が「改革反対派」というのも妙な感じがします。
いずれにしても
新会長選では、現在の司法改革路線、弁護士の大幅増員に反対する高山俊吉氏が43%も得票した。従来通りの改革推進を掲げ辛勝した宮崎誠氏も、選挙中に増員ペース見直しを明言せざるを得なかった。
と弁護士全体としては(急激な?)改革には批判的な人が多いようです。
さらにこの社説では
司法書士などの試験と同じく司法試験も法曹資格を得る試験にすぎず“生活保障試験”なぞではない。
「生存競争が激化し、人権擁護に目が届かなくなる」-こんな声も聞こえるが、余裕があるからするのでは人権活動と呼ぶには値しない。
と手厳しいです。
また、2月9日の日経新聞の社説も
弁護士不足の危機を感じるこれらの業務は、手間がかかる割に報酬が低いところが共通する。「仕事にあぶれる」は有り体に言えば「もうかる仕事にあぶれる」なのか。
「大幅増員すれば弁護士間の生存競争がひどくなり、人権の擁護・社会正義の実現を目指す仕事には手が回らなくなる」。増員反対派の、こんな言い分にうなずき、法曹は増やさないほうがよいと判断する国民はどれほどいるだろう。
と批判的です。
確かに制度上は、同じ職業独占が制度化されている医師は厚生労働省から資格停止等の処分を受けるのに対し、弁護士は自治に任されていて、資格の停止や剥奪をするには弁護士会での懲戒処分しかないので弁護士会次第で「司法試験に合格すれば自動的に一定レベルの生活を保障する」(=司法試験を生活保障試験にする)という運用は理論的には可能です。
国民の事由と権利を擁護するという役割故に職業独占が認められ、しかもこのご時勢監督官庁とか外部監査人・社外役員などの第三者からのチェック機能が働かない数少ない団体だけに(他には国会議員くらいでしょうか)、弁護士会にはより厳しい自律性が期待されているし、世間の目も厳しくなるのは仕方ないと思います。
もっとも、「一定の保護を内部の論理と国民感覚のズレ」という意味では、新聞の戸別配達を維持するための再販価格制度の位置づけも似たようなものではないかと(お互いに一緒にされては不愉快かもしれませんが・・・)。
前置きが長くなりましたがこれからが本題です。
「弁護士が増えると競争が激化して収入が減る」という議論で気になるのは弁護士業のパイが増えないことを前提にしていることです(弁護士が増えるとアメリカのように乱訴の弊害が出るという議論は、人数が少なくてもそういうことをする人は出かねないわけなのでとりあえず置いておきます)。
一般的には今後弁護士の果たす役割が増えると期待されているわけで(そのために増員が図られたはずです)、日弁連としても「池の魚の数を増やすな」と言う前に池を大きくするという方向での議論はしないのでしょうか?
今までと同じサービスをより大きな人数で提供しているだけでは一人当たりの収入は減るのは当然ですし、新しい市場を開拓するにはリスクが伴うのもこれまた当然です。
鶏と卵の順番にこだわって市場を広げるチャンス(法律サービスの需要増)にサービスを提供しないでいると、逆に他業者の市場参入を招いてしまうと思います。
たとえば債務整理業務についての司法書士の参入がいい例です。
また、この前被害者国選弁護というエントリを書きましたが、ドイツでは犯罪被害者支援については民間支援団体が30年以上の歴史を持っているそうですので、あまり内向きな議論ばかりをしていると、先の司法書士だけでなくNPOによる活動などにも陣地を取られてしまうのではないでしょうか。
新会長は多少の見直しを示唆したものの「改革推進派」とのことなので、頑張っていただきたいと思います。