見方が甘かったです。
異動の前には、卒業企画記事を連載したり、各方面にあいさつ回りに出かけたり、といったことができるものだとばかり考えていました。
実際には、引っ越しの作業で時間が食われてしまい、あとは通常の取材・執筆などの仕事を入れると、ほとんどなにもできないのでした。
3月24日は体調が悪く横になっており、25日になんとか自宅の後片付けを8割方完了。
これはひとえに、自分の整理整頓がなっておらず、自室をごみ屋敷化していたことが原因としかいいようがありません。
27~28日は土日を利用して家人が札幌から訪れ、段ボールや荷物をまとめ、28日にアート引越センターが荷物を搬出するとともに、業者がハウスクリーニングを実施。
部屋が急にがらんとしました。
やかんやふとん、最小限の食糧などはまだ置いてあり、冷蔵庫や洗濯機は後任の支局長に差し上げるつもりだったのでそのままにしていました。
とはいえ、皿などもすべて運び出してしまい、生活が不便なので、29、30日に町内生田原の温泉ホテル「ノースキング」に2泊することにしました。
休む間もなく29日は職場の机回りを掃除。
これも、当初考えていたよりも、ぜんぜんできないまま終わってしまいました。
30日にふたたびアート引越センター、後任の支局長がやって来て、荷物入れ。
業務引き継ぎをしましたが、いちばん難関の経理作業が、パソコン画面がまだ使えないとかで、筆者も若干キレ気味。
ちなみに、冒頭画像は「ノースキング」を車で出た直後、生田原市街地の北側で遭遇したシカの群れです。
ノースキングは、露天風呂がないのがネックですが、温泉は悪くなく、料理はけっこうおいしいです。
2枚目の画像は、客室からの眺め。
道路を挟んですぐのところをJR石北線が走っています。
ノースキングは生田原駅から歩いて3分ほどです。
新支局長が乗ってきたレンタカーを運転して、生田原から札幌を目指します。
後部座席には、28日に運び残したふとんや衣類などがびっしり詰まっています。
カーナビゲーションは、遠軽インターチェンジから紋別自動車道に入ることをすすめてきますが、留辺蘂から石北峠を経由することにきめました。
1990年、北見支社に赴任することになり生まれて初めて道東へ来たときの経路から帰りたい、といういささか感傷的な理由のほか、峠附近にある野外彫刻をチェックしたいという気持ちもありました。
標高の高い石北峠も雪解けが進んでいました。
1990年にはまだ、トラックがすれ違えないほど狭い峠道だったこのあたりも、整備が進んだ一方で、北見峠まわりの紋別自動車道が開通した影響で、交通量は減っています。
途中、旭川北インターチェンジを降りて、近くの鷹栖町図書室によりました。
「3・11」をテーマにした美術展が開かれているということを聞いたためです。
しかし図書室は、月末の蔵書整理日にあたっていて、休館していました。
ことしに入り筆者が同様の休館に遭遇したのは3回目か4回目で、いくらなんでも運が悪いと思います。
旭川新道を通って旭川鷹栖インターチェンジから道央自動車道に戻ります。
旭川新道は、道央道がまだ旭川鷹栖までしか到達していなかった昔、よく利用したなつかしいバイパスです。
ここから一気に札幌を目指します。
…というはずだったのですが
「火災のため滝川―奈井江砂川間通行止め」
という表示が出ていて、やむを得ず滝川インターチェンジで国道38号→12号を走ります。
途中で給油し、となりのツルハ砂川東店でパンを買って昼食。
ふたたび道央自動車道に戻り、今度こそ札幌へ。
自宅で後部座席のふとんなどを下ろしてから、五輪通と石山通から北上。
大通西11のスタンドで満タンにしたあと、10丁目のレンタカー会社でぶじに車を返却して、西11丁目から地下鉄東西線に乗り、ひさしぶりに本社に出社したのでした。
異動の前には、卒業企画記事を連載したり、各方面にあいさつ回りに出かけたり、といったことができるものだとばかり考えていました。
実際には、引っ越しの作業で時間が食われてしまい、あとは通常の取材・執筆などの仕事を入れると、ほとんどなにもできないのでした。
3月24日は体調が悪く横になっており、25日になんとか自宅の後片付けを8割方完了。
これはひとえに、自分の整理整頓がなっておらず、自室をごみ屋敷化していたことが原因としかいいようがありません。
27~28日は土日を利用して家人が札幌から訪れ、段ボールや荷物をまとめ、28日にアート引越センターが荷物を搬出するとともに、業者がハウスクリーニングを実施。
部屋が急にがらんとしました。
やかんやふとん、最小限の食糧などはまだ置いてあり、冷蔵庫や洗濯機は後任の支局長に差し上げるつもりだったのでそのままにしていました。
とはいえ、皿などもすべて運び出してしまい、生活が不便なので、29、30日に町内生田原の温泉ホテル「ノースキング」に2泊することにしました。
休む間もなく29日は職場の机回りを掃除。
これも、当初考えていたよりも、ぜんぜんできないまま終わってしまいました。
30日にふたたびアート引越センター、後任の支局長がやって来て、荷物入れ。
業務引き継ぎをしましたが、いちばん難関の経理作業が、パソコン画面がまだ使えないとかで、筆者も若干キレ気味。
ちなみに、冒頭画像は「ノースキング」を車で出た直後、生田原市街地の北側で遭遇したシカの群れです。
ノースキングは、露天風呂がないのがネックですが、温泉は悪くなく、料理はけっこうおいしいです。
2枚目の画像は、客室からの眺め。
道路を挟んですぐのところをJR石北線が走っています。
ノースキングは生田原駅から歩いて3分ほどです。
新支局長が乗ってきたレンタカーを運転して、生田原から札幌を目指します。
後部座席には、28日に運び残したふとんや衣類などがびっしり詰まっています。
カーナビゲーションは、遠軽インターチェンジから紋別自動車道に入ることをすすめてきますが、留辺蘂から石北峠を経由することにきめました。
1990年、北見支社に赴任することになり生まれて初めて道東へ来たときの経路から帰りたい、といういささか感傷的な理由のほか、峠附近にある野外彫刻をチェックしたいという気持ちもありました。
標高の高い石北峠も雪解けが進んでいました。
1990年にはまだ、トラックがすれ違えないほど狭い峠道だったこのあたりも、整備が進んだ一方で、北見峠まわりの紋別自動車道が開通した影響で、交通量は減っています。
途中、旭川北インターチェンジを降りて、近くの鷹栖町図書室によりました。
「3・11」をテーマにした美術展が開かれているということを聞いたためです。
しかし図書室は、月末の蔵書整理日にあたっていて、休館していました。
ことしに入り筆者が同様の休館に遭遇したのは3回目か4回目で、いくらなんでも運が悪いと思います。
旭川新道を通って旭川鷹栖インターチェンジから道央自動車道に戻ります。
旭川新道は、道央道がまだ旭川鷹栖までしか到達していなかった昔、よく利用したなつかしいバイパスです。
ここから一気に札幌を目指します。
…というはずだったのですが
「火災のため滝川―奈井江砂川間通行止め」
という表示が出ていて、やむを得ず滝川インターチェンジで国道38号→12号を走ります。
途中で給油し、となりのツルハ砂川東店でパンを買って昼食。
ふたたび道央自動車道に戻り、今度こそ札幌へ。
自宅で後部座席のふとんなどを下ろしてから、五輪通と石山通から北上。
大通西11のスタンドで満タンにしたあと、10丁目のレンタカー会社でぶじに車を返却して、西11丁目から地下鉄東西線に乗り、ひさしぶりに本社に出社したのでした。