今日は朝から曇ったり、晴れたり、小雨が降ったりと・・・落ち着かない一日であった。それだし・・・肌寒くもありました・・・。
私のマシン室には・・・二台のデスクトップ(XPとVista)は、ネットワークにつながっていて・・・インターネットに接続できているのだが、ノートPCは、Windows95 と、Windows98 であるので、ネットワークには参加できていない。
そこで、今日は・・・、そのWindows98を搭載している、FMV-BIBLO というノートPCを仲間に引き入れることにした。デオデオさんで研究しながら、LANボードを選んで買って・・・、それを装着して・・・うまくいったように思う・・。

うまく・・・私のHPに接続できている・・。フレッツ・ADSLの設定も簡単にOKでした・・・。今度は・・・このノートPCを無線LANに組み込めないか・・・の実験をするつもりだ。
そうすれば・・・寝間からでもアクセス可能になるのではないのかと・・・。
余裕があれば・・・、Windows95 の IBM端末も組み込んでみたいとは思うのだが、そのメリットがあるのかどうか・・・。

さて・・・、これは・・・消えゆく風景・・・としての描写だ・・。
私たちの村では・・・家ごとに、こうした建物があって、ここに柴や薪や割り木・・・などという木材が積み込まれておりました・・・。一年中のマキや燃料となる木材を集めておくための建物・・・というよか・・・小屋ですね。
私たちは・・・「木納屋:きなや」って、呼んでいましたが、風呂を沸かすための割木:太い木材を割ったもの・・・や、柴・・・という小枝を集めたもの。コクバという・・・松の葉っぱの枯れたものなど・・・用途に応じて・・・蓄えておったもんです。
お湯を沸かす。ご飯を炊く・・・魚を焼くから煮るまで・・・木材がないとできんかったもんです。当然・・・お風呂もでした・・。
そういうものを集めるのも・・・こどもたちの仕事であったような・・・。こどもたちは、集めた量を自慢したもんです・・。
でも・・、ガスだの、電気だのがやってきて、かまどがなくなったし、お風呂も自動化されてしまった・・・。照明も・・・囲炉裏やろうそくから電気に代わって・・・マキは・・・いらなくなった・・・。
山間部の農家に、必ずあったこうした・・・木小屋とか、木納屋という建物は朽ち果てて・・・自然に飲み込まれてしまっているのが実情・・・。いらないものだから、誰も救いはしない・・・。
でも、こうして考えてみれば・・・戦後の三十年代から四十年代というのは、家庭文化の転換期にあったようなものだなぁと実感できる・・。
まさに消えてゆく光景ではある・・・。
私のマシン室には・・・二台のデスクトップ(XPとVista)は、ネットワークにつながっていて・・・インターネットに接続できているのだが、ノートPCは、Windows95 と、Windows98 であるので、ネットワークには参加できていない。
そこで、今日は・・・、そのWindows98を搭載している、FMV-BIBLO というノートPCを仲間に引き入れることにした。デオデオさんで研究しながら、LANボードを選んで買って・・・、それを装着して・・・うまくいったように思う・・。

うまく・・・私のHPに接続できている・・。フレッツ・ADSLの設定も簡単にOKでした・・・。今度は・・・このノートPCを無線LANに組み込めないか・・・の実験をするつもりだ。
そうすれば・・・寝間からでもアクセス可能になるのではないのかと・・・。
余裕があれば・・・、Windows95 の IBM端末も組み込んでみたいとは思うのだが、そのメリットがあるのかどうか・・・。

さて・・・、これは・・・消えゆく風景・・・としての描写だ・・。
私たちの村では・・・家ごとに、こうした建物があって、ここに柴や薪や割り木・・・などという木材が積み込まれておりました・・・。一年中のマキや燃料となる木材を集めておくための建物・・・というよか・・・小屋ですね。
私たちは・・・「木納屋:きなや」って、呼んでいましたが、風呂を沸かすための割木:太い木材を割ったもの・・・や、柴・・・という小枝を集めたもの。コクバという・・・松の葉っぱの枯れたものなど・・・用途に応じて・・・蓄えておったもんです。
お湯を沸かす。ご飯を炊く・・・魚を焼くから煮るまで・・・木材がないとできんかったもんです。当然・・・お風呂もでした・・。
そういうものを集めるのも・・・こどもたちの仕事であったような・・・。こどもたちは、集めた量を自慢したもんです・・。
でも・・、ガスだの、電気だのがやってきて、かまどがなくなったし、お風呂も自動化されてしまった・・・。照明も・・・囲炉裏やろうそくから電気に代わって・・・マキは・・・いらなくなった・・・。
山間部の農家に、必ずあったこうした・・・木小屋とか、木納屋という建物は朽ち果てて・・・自然に飲み込まれてしまっているのが実情・・・。いらないものだから、誰も救いはしない・・・。
でも、こうして考えてみれば・・・戦後の三十年代から四十年代というのは、家庭文化の転換期にあったようなものだなぁと実感できる・・。
まさに消えてゆく光景ではある・・・。