咸臨丸に乗り組んだ水夫の話・・・が、「桑港にて」という本の中にある。「サンフランシスコにて」と読む。
高見島の水夫・・・吉松・・だったかの話なんだが・・櫃石の治作が病床にあって・・「うどんがくいてぇ・・」という・。アメリカのサンフランシスコの海軍病院でのことだ・・。で・・・高見の吉松だかが・・・うどんを作って食べさせる話だった。
私は・・この話を読んで・・・妙な違和感を持った・・・。

確かに・・・こんぴら参詣絵図なんぞには・・・うどん屋の絵があって、庶民がうどんを食べている姿がある・・・。江戸時代後期には・・・さぬきではうどんが食べられていたには違いない。
でも・・・民俗学的に見て・・・、本島でも、広島でも・・・高見島でも・・・食べ物の中に・・うどんは出てこない。そうめんというのは・・お盆の食べ物というかほとけさまへのお供えものとして出てくるが・・・「うどん」はどこにも登場しない・・。

「讃岐の国は雨が少ないために、稲作に向かない土地があり、小麦を育てた。そのためうどんが土地の料理になった。塩飽諸島でも腰の強いうどんを好んで食べる・・・」と・・・作者は書いている・・。
確かに・・・高見島には水田はなく、一粒の米も取れない。だから小麦を作ったのは事実・・・。だが・・・どんな資料を調べても・・・「うどん」という言葉は出てこない・・。
いやいや・・・作者の植松さんにクレームをつけるわけではないが・・・何か・・・妙に・・・気になって仕方がない。
そもそも・・・さぬきうどんが有名になるのは戦後の昭和50年ごろから・・。かな泉・・・といううどん屋さんが・・・TVなどで大々的に売り出してから・・。

さらに・・・平成になってから・・・田尾さんらの「麺通団」の登場によって、爆発的なうどんブームになった・・。だから・・・讃岐の人は当たり前のようにうどんを食べるように思われているが・・・実際はそんなことはない。
しかしのかかし、そもそも・・・うどんなどというものは・・「ハレ」の日の食べ物であって、普段には食べられるものではなかったのではないか・・。何か・・・特別なことでもないと食べられるものではなかったのではないか・・。
事実・・・私もうどんを食べた記憶はない。うどんというのは・・お正月か大晦日に食べるくらいなものか、町に出た時くらいなもの・・。
島の人たちはアワやヒエ、イモなどを加工して食べていた。麦は現金収入の糧として、あるいは物々交換の交易のために栽培され、一部は食料になったのは理解できるが・・、うどんを打った・・・という記録がない。
振り米・・・という話がある・・。人が亡くなる前に・・竹筒に入った米の音を聞かせる・・・という話。庶民は米を食べることはできず、亡くなる前に・・・米の音だけしか聞かせてもらえない・・・。
だから・・・病床にあって・・・「うどんがくいてぇ・・」という話は不思議ではない・・・。だが・・・実際は・・・「こめがくいてぇ・・」というほうが自然ではなかったのか・・・。
いやいや・・そんなに深刻な問題ではない。ただ・・なんとなく違和感のあるものが胸の中にくすぶっているだけの話だ・・。
じゃぁ、また。
高見島の水夫・・・吉松・・だったかの話なんだが・・櫃石の治作が病床にあって・・「うどんがくいてぇ・・」という・。アメリカのサンフランシスコの海軍病院でのことだ・・。で・・・高見の吉松だかが・・・うどんを作って食べさせる話だった。
私は・・この話を読んで・・・妙な違和感を持った・・・。

確かに・・・こんぴら参詣絵図なんぞには・・・うどん屋の絵があって、庶民がうどんを食べている姿がある・・・。江戸時代後期には・・・さぬきではうどんが食べられていたには違いない。
でも・・・民俗学的に見て・・・、本島でも、広島でも・・・高見島でも・・・食べ物の中に・・うどんは出てこない。そうめんというのは・・お盆の食べ物というかほとけさまへのお供えものとして出てくるが・・・「うどん」はどこにも登場しない・・。

「讃岐の国は雨が少ないために、稲作に向かない土地があり、小麦を育てた。そのためうどんが土地の料理になった。塩飽諸島でも腰の強いうどんを好んで食べる・・・」と・・・作者は書いている・・。
確かに・・・高見島には水田はなく、一粒の米も取れない。だから小麦を作ったのは事実・・・。だが・・・どんな資料を調べても・・・「うどん」という言葉は出てこない・・。
いやいや・・・作者の植松さんにクレームをつけるわけではないが・・・何か・・・妙に・・・気になって仕方がない。
そもそも・・・さぬきうどんが有名になるのは戦後の昭和50年ごろから・・。かな泉・・・といううどん屋さんが・・・TVなどで大々的に売り出してから・・。

さらに・・・平成になってから・・・田尾さんらの「麺通団」の登場によって、爆発的なうどんブームになった・・。だから・・・讃岐の人は当たり前のようにうどんを食べるように思われているが・・・実際はそんなことはない。
しかしのかかし、そもそも・・・うどんなどというものは・・「ハレ」の日の食べ物であって、普段には食べられるものではなかったのではないか・・。何か・・・特別なことでもないと食べられるものではなかったのではないか・・。
事実・・・私もうどんを食べた記憶はない。うどんというのは・・お正月か大晦日に食べるくらいなものか、町に出た時くらいなもの・・。
島の人たちはアワやヒエ、イモなどを加工して食べていた。麦は現金収入の糧として、あるいは物々交換の交易のために栽培され、一部は食料になったのは理解できるが・・、うどんを打った・・・という記録がない。
振り米・・・という話がある・・。人が亡くなる前に・・竹筒に入った米の音を聞かせる・・・という話。庶民は米を食べることはできず、亡くなる前に・・・米の音だけしか聞かせてもらえない・・・。
だから・・・病床にあって・・・「うどんがくいてぇ・・」という話は不思議ではない・・・。だが・・・実際は・・・「こめがくいてぇ・・」というほうが自然ではなかったのか・・・。
いやいや・・そんなに深刻な問題ではない。ただ・・なんとなく違和感のあるものが胸の中にくすぶっているだけの話だ・・。
じゃぁ、また。