まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

葛原を 抜けてお寺の 裏に出る

2010年06月14日 | 歴史

 午後からは・・佐柳島へお邪魔して・・。坂出の「朝日丸」という特船を一日・・チャーターしての海の旅・・。普通ならば・・地方(じかた)=丸亀や多度津から・・島に渡る定期船を利用しないと島には上がれない・・。

 

 一行は・・島の集会場に上げていただいて、そこでお茶をいただき、島田さんのご挨拶を受ける・・・。ここでは・・「鐵五郎」さんのほうがお馴染みかも・・。

 

 塩飽諸島には・・二十八の島々があるが、櫃石や岩黒島、与島などは坂出市に、塩飽本島や牛島、広島・手島などは丸亀市に、この・・高見島・佐柳島は・・・多度津町に属している・・・。昔は・・・海上に横につながっていたものが、戦後は・・地図的に・・・縦に結びついたようで、便利なのか、不便になったものか・・。

 

 これが・・塩飽史談会の会長さんの入江先生・・・。九十歳を越えてなおかつお元気そのもの・・。昔のことを見てきたようにお話される・・・。

 佐柳島でも・・八幡神社を見学したり、干満の井戸という不思議な井戸を見学したりして、佐柳の旧庄屋さん「長太夫」宅を訪問・見学させていただいた。

 

 今でも・・広い間取りで豪壮な建物・・・。欄間でも一枚板の立派な彫り物があったり、今でも槍や船突き槍などの武具が残されていたりする。この屏風も由緒あるものらしい・・・。

 で・・歴史というと・・やはり、お寺や神社やお墓に注目せざるを得ない・・。

 今度は・・「乗蓮寺」に向かう・・。ここには・・あの「咸臨丸」の乗り込んだ・・「富蔵」と「前田高次」のお墓があるし、お寺の壁には・・瀬野昇平という人が・・「咸臨丸に野って米国の桑港に行った」という履歴書を張ってある・・・。咸臨丸に乗り組んだ水夫は50人。その内の35人が塩飽の水夫。その中に・・「昇平」という名前はどこにもない・・。この昇平という人物はいかなる人物なのか・・・。

 

 一行は・・・本浦という地区の見学を終え・・再び朝日丸に乗り込んで・・、今度は島の北端にある・・「長崎地区」に向かう・・。

 ここの・・お墓は想像を絶するところ・・。あの・・青森下北の「恐れ山」を彷彿とさせるような光景が・・・。

 

 こういう・・自然石を盛り上げた埋め墓が・・数百と言わず・・・並んでいる・・・。中に・・細長い盛り石があるものが「寝棺」を埋葬した土葬のお墓。小さな丸い盛り石は・・病院とかで亡くなって・・遺骨となって島に帰り埋葬されたお墓・・。最近はこういうお墓が多くなったとか・・。

 

 ここでも・・小さな石碑に・・故人の俗名が刻まれていて、誰を埋葬したのかがわかるようになっている。少し前までは桐の木を刻んだ「地蔵」という人形をさして居たが、今ではそういう風習もすたれたようだし、草履や杖を添えるお墓もすっかりと見なくなった・・。

 一つの盛り塚に、二つ以上の石碑があるものは、親子とか夫婦の遺骨を並べて埋葬したものだとか・・・。

 で・・少し離れた場所には・・立派な戒名を刻み込んだ「参り墓」の並んだ墓地がある・・。

 

 16時過ぎには・・佐柳島にお別れ・・西山先生や島田先生とお別れし、一行は・・さぬき広島・・丸亀港・・塩飽本島・・与島・櫃石島・・坂出へと寄港しながら流れ解散になった・・。

 私は・・広島には戻らず・・丸亀港で下船・・、久しぶりにさぬき市に戻ってきた・・。

じゃぁ、また。
 
 


目覚めれば やまの朝明け ほとぎす

2010年06月14日 | 自然
 六月14日の朝は曇っているものの、まずまずのお天気だった・・。なにせ、朝の五時過ぎから起きて・・それから資料の印刷をするのだから・・・、まさに・・「どろなわ」やね。泥棒を見てから縄をなうというか、泥棒を捕まえてから縄をなうというものだか・・。

 ま、そんだけ、土日には遊びに夢中になっておったという訳やね・・。

 


 で、まごのはやてちゃんと、はやてパパとを屋島のおうちにまで送り届けてから・・丸亀に向かった・・。それだから・・・余裕を見て家を出たのだけれど、丸亀港に着いたのが九時10分だ・・。そこから徒歩で丸亀市民会館まで・・。歩くとしっかりとあるね。30分近くかかって九時40分ごろに会場に着いたように思う・・。

 

 塩飽史談会の例会は十時過ぎから始まって、活動報告やら会計報告やら、活動予定が発表されたり、予算案が審議されたりする・・。まぁ普通の例会の様子・・・。

 

 その後、私の発表が30分ばかりになった・・。まぁ、目新しいお話もないし、くどくどと資料を読むのもどうかなぁと思って・・・。資料が多くなりすぎて大切なお話が見えなくなってしまったし・・・。お話としては「ある情熱」という文倉平次郎の咸臨丸に賭けた情熱と、その男に惹かれた男のお墓探し」という内容のお話になった・・・。



 その後は懇親会になって・・・石の話やら塩飽本島の秋の行事の話やら多度津町での講演会の話櫃石島の顕彰碑建立の話やらと話題はもりだくさん・・・。

 その後は・・さぬき広島にわたり、広島支所へ「羽節灯台」の写真を届けに寄った。この前、手島へ草刈りに行った帰りに、支所に飾っておきたいと言うもので撮影したもの。



 この日は「世界献血者デー(World Blood Donor Day)」ということで国際赤十字・赤新月社連盟、世界献血団体連盟、国際輸血学会が2004年に制定したもの。ABO式血液型を発見した生物学者・カール・ラントシュタイナーの1868年の誕生日にちなんだものらしい・・。



 「手羽先記念日」というものがあって、名古屋市で手羽先店チェーン「世界の山ちゃん」を展開する株式会社エスワイフードが制定したものらしい。1981年の「世界の山ちゃん」の創業記念日。

 また、「開発支援ツールの日」というものもあって、株式会社AHotDocumentが2007(平成19)年に制定したもの。同社の開発支援ツールAHotDocumentの1996年の発売日。

 開発支援ツールとはコンピュータソフトの開発の一部を効率化し、開発の負荷を軽減するソフトウェアのことである。



 「五輪旗制定記念日」というものは、1914年のこの日、5色のオリンピック大会旗が制定された。



「フラッグデー [アメリカ合衆国]」というものは1777年のこの日、「星条旗」を正式にアメリカ合衆国の国旗と定めた日である。

 アメリカが独立宣言を行った頃の旗にはイギリスの国旗が入っていた。しかし、独立戦争で戦った相手の国の国旗が旗に入っていては国民の士気に影響するということで、ワシントンらがフィラデルフィアの旗作り職人ベッツイ・ロスに依頼し、星条旗を完成させた。第28代大統領ウィルソンがこの日を国民の祝日とした。



じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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