まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

青蛙 時期とばかりに 鳴いて飛び

2010年06月18日 | 自然
 6月18日は、「海外移住の日」で、国際協力事業団(JICA)が1966(昭和41)年に制定したもの。1908(明治41)年のこの日、本格的な海外移住の第一陣781人を乗せた笠戸丸が、ブラジルのサントス港に到着した。

 

•国際協力事業団 http://www.jica.go.jp

 で、さらに、「考古学出発の日」というのもおもしろい・・。「考古学の日」ではなくて、「考古学を考える日」でもなく・・、「考古学出発の日」というんだ・・。

 

 1877(明治10)年のこの日に、アメリカの動物学者、E.S.モース博士が来日した。6月20日、モース博士が汽車で横浜から新橋へ向かう途中に貝殻が堆積しているのを発見し、まもなく発掘調査が行われた。 これが日本で初めての科学的な発掘調査で、日本の考古学の出発点となった。これが後の・・「大森貝塚」であった。

 モースは、生物学を教えることになった東京大学の教え子たちと同年9月頃から同貝塚を発掘しました。さらに1879年(明治12)には日本初の発掘報告書である“Shell Mounds of Omori”を出版しました。博士の大森貝塚の発掘は日本初の学術的発掘であり、調査報告書の発行も初めてのことでした。このことから大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれている。

 モースたちの発掘した大森貝塚の出土品は国の重要文化財に指定され、現在東京大学に保管されており、品川歴史館では、その中で代表的な資料9点のレプリカを展示している。

 

 大森貝塚発掘風景(1877年)(“Shell Mounds of Omori”)より

 モースは“Shell Mounds of Omori”に貝塚の住所や地図を載せなかった。そのためいつの間にか大森貝塚の位置は分からなくなってしまっていた。特に、1929年(昭和4)に今の大森貝塚遺跡庭園(品川区大井6丁目)に「大森貝塚碑」が、翌年いまの大田区山王1丁目に「大森貝墟碑」が建てられ、貝塚の位置をめぐる「混乱」はさらに大きくなったが、1955年、両方の碑は、「国指定史跡 大森貝塚」として国の史跡に指定されてしまった。

 モースたちの発掘から100年目の1977年(昭和52)、大森貝塚発掘時の「発掘補償金」に関する文書が、東京都公文書館で発見された。そこに記された発掘地の住所「大井鹿島谷二千九百六十番地」は、現在の大森貝塚遺跡庭園の位置にあたり、これにより「モースの大森貝塚」の位置が明らかになったという訳だ。

 公文書から「モースの大森貝塚」の場所と判明した大森貝塚遺跡庭園付近は、1984年(昭和59)以降、数回発掘され、その発掘で、考古学的にもモースたちの発掘したのがその場所であることが明らかになっている。さらに、これらの発掘で、住居址や土器・装身具・魚や動物の骨などが大量に見つかった。これらの資料のいくつかは、品川歴史館に展示している。

 「大森貝塚遺跡庭園」 品川区は大森貝塚碑付近の土地に大森貝塚遺跡庭園を建設した。庭園内には貝層の剥離標本をはじめ、学習広場・体験広場があり、縄文時代・大森貝塚について学習できるようになっている。

■開園時間  7月・8月    午前9時~午後6時
         11月~2月   午前9時~午後4時
         その他の期間 午前9時~午後5時

■住所    品川区大井6-21-6

■交通    JR・東急大井町駅から東急バス「池上」「蒲田」行きで「大森操作場下車、JR大森駅山王北口から徒歩5分

 

 さらにこんな記念日もある。「おにぎりの日」は、町内の遺跡で日本最古の「おにぎりの化石」が発見されたことから「おにぎりの里」として町起こしをしている石川県鹿西(ろくせい)町(現 中能登町)が制定。これがその・・「おにぎりの化石」というのだけれど・・・。

  


「鹿西」の「ろく」と、毎月18日の「米食の日」からの命名らしい・・・。

関聯記念日•おむすびの日 <1月17日>

 



 今日から神戸・大阪へ出向いてきます。お天気が梅雨時だけに心配なんだけれど、ま、雨の大阪もいいものかも知れないし・・。

 じゃぁ、また来週、会えるといいね。

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