まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

青梅の 落ちて転がる 不動坂

2010年06月28日 | 歴史
 今朝はよく晴れて気持ちのいい朝になったものの・・、すぐにまた湿度が上がってきて・・蒸し蒸しするような一日になった・・。

 

 さて、幾分か古くなった話だけれど、先日の土曜日・・26日に、坂出市櫃石島で、咸臨丸乗り組み水夫の顕彰碑の除幕式があった。ご案内はいただいていたのだけれども、雨が降っていたし、天候がよくないみたいなのでパスさせてもらった・・。行けば良かったのになぁと思ったけれど、あかつき丸を出す勇気はなかったもので・・。

 

 江戸幕府の軍艦・咸臨丸(かんりんまる)に乗り組んだ塩飽(しわく)出身の水夫35人の功績をたたえる顕彰碑が、坂出市の櫃石島に建立され、関係者ら約100人が集まって、除幕式が行われた。咸臨丸の渡米から今年で150年になるのに合わせ、県内の歴史愛好家のグループ・「讃岐龍馬会塩飽社中」が、全国的にはあまり知られていない塩飽諸島出身の水夫たちの活躍に光をあてようと企画したもの。 碑は花こう岩で高さ2メートル、幅2・5メートル。咸臨丸難航図の姿とともに、35人の名と「郷土の誇りとして その名を永く 後世に伝えん」との文字が刻まれている。

 
 
 式典には、坂出市長や、市議会議長、自治会の方々が揃い、その間だけ奇跡的に雨が上がってくれ、35名の塩飽の水主たちの名前が刻まれた石碑に住職さんによって開眼供養が行われ、これにより、塩飽に帰れなかった水主たちが、故郷に戻れたような嬉しい気持ちになったそうだ。

 

 除幕後、全員で35人の冥福を祈ったが、大阪市から駆け付けた子孫の1人、藤本増夫さんは「水夫の半数は、墓の場所も分かっておらず、碑に彼らの名が記されたことは意義深い。過酷な航海を支えた塩飽の男たちのことを多くの人に知ってほしい」と話していたらしい。

 

 そういう情報が・・今朝一番のニュースだった。

 で、朝一番に・・郵便局(今は・・JPっていうんだろうが、なんだか馴染めない・・)に行って、郵便物の発送が六件・・。画像データだとか、アメリカ行きの保険の申し込みとか、なんだかんだのと・・。

 それからだ・・。さぬき市からの「特定健診」。今までの会社でやっていた定期健康診断みたいなものかな・・。これを受けていないと・・保険税が上がる・・とかと書いてあったもので、しぶしぶ出かけた。ま、一年に一度は受けておいてもいいかなぁと思って。

 

 さぬき市内の医院や病院ならばどこでもいいみたいだったもので、空いていそうなところに寄ってみた。ま、県立病院で治療中だから・・特に問題はない・・。

 で、その後、本屋さんで俳句の本を買ったり、ホームセンターで、メダカのえさを買ったりして昼食になった・・。

 

 さぬき市志度のホームセンター近くの「亀城庵・志度店」に寄った。ここはセルフのお店。 席数100の店内は、とにかく広い。半セルフ方式で、メニューを注文し、うどんが手渡されるとずらりと並んだ天ぷら類を取りながら進み、最後に会計。何ともアットホームな雰囲気ではある。

 

 今日は・・暑いもので、さわやかな「ぶっかけうどん小」を注文した。それだけだと・・300円。最近は小食だから・・それでも十分すぎるくらい・・。大根おろしがさっぱりとしておいしかった・・。当然・・おうどん自体も十二分においしいのだけれど・・。

 

 時期的には・・冷やしうどんとか、ザルうどん大・・・とかの注文が多かったように聞こえた・・。ま、好き好きなんだけれども・・。ここも・・100席ほどの広いお店なんだけれど、お昼を過ぎると・・近くの会社とか事務所から・・大勢のお客さんでいっぱいになる。だから・・早々に・・お店を出て・・ホームセンターに向かった・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>